奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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今日のレッスンは、イメージしづらい内容に感じられるけれども、具体性というものは本来ないものなので、当然と言えば当然なのかもしれません。
興味深いと感じるのは、知覚というのは内なる視覚から始まって、そこで終わるということ。それ以外に、知覚のもととなる場所はないと述べられている点です。
見るということについては、
▶Lesson27
何をおいても、わたしは見たい。
▶Lesson28
何をおいても、わたしは物事を別の見方で見たい。
▶Lesson29
神は、わたしが見るあらゆるものに在る。
▶Lesson30
神は、わたしの見るすべてのものの中に在る。なぜなら神はわたしの心の中に在るから。
▶Lesson31
わたしは、わたしの見ている世界の被害者ではありません。
▶Lesson32
わたしの見ている世界は、わたしがつくり出しました。
▶Lesson33
世界については別の見方があります。
▶Lesson34
わたしは、この代わりに平和を見ることができます。
たとえばこのあたりでも学びました。
いま手元に中央アート出版社のワークブックがあるので、こちらから、たとえばレッスン34の第一段階目に書かれている内容を引用します。
心の平安とは、明らかに内面的な事柄である。それは必ずあなた自身の考えから始まり、そこから外へと広がっていくものである。世界についての平安な知覚は、あなたの心の平安から生じるのである。
(『奇跡講座 ワークブック編』/中央アート出版社)
今日のレッスン5段階目の最初には
神の平安を閉じ込めることはできません。自分の内にそれを認めた人は、それを与えずにはいられません。
とあり、
10段落目では
わたしたちは、神の平和は今でも自分たちの中で輝いていることや、その平和は自分たちから、自分たちの命を分かち合う命あるすべてのものへと輝き出していることを認めます。わたしたちは、そうした思いをすべてゆるし、この世界が自分たちに対しておこなったと思い込んでいたことから世界全体を解放します。
と書かれています。
もちろん全文が大切なのですが、「引用」の域を出てしまうのでこのあたりまでで。
▶Lesson186
この世界の救いは、わたしにかかっています。
この言葉が、以前はなんだかちょっと(どころではなく?!)怖く感じられていましたが、こうして丁寧に学んでみると、今日のレッスンをよく読んでみると、確かにそうだとしか思えなくなります。
わたしが特別な存在だからではなく、これは全員の責任なのです。
わたしの、責任なのです。
心の眼、ホーリースピリットのまなざしで見てゆくこと。
平安のなかにいて、その輝きを見続けること。
祝福し、たたえること。
それを忘れないでいたいです。
今日は香咲さんの東京セミナー2日目でした。
午前中のヒーリングクラスでは、ヒーリングをさせていただきましたが、ヒーリングとはまさにこれをおこなうことですし、セミナー最後のワークも、今日のレッスンと繋がっていました。
毎日、いつ、どこにいても、わたしのすることは1つです。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック8 豊かさの力学/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)