『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson28:何をおいても、わたしは物事を別の見方で見たい。
 
 
昨日のレッスンの続き。今日のレッスンには「あなたは本腰を入れて取り組むことを確認し続けることになります」と書かれています。
 
昨日はかなり頻繁に、仕事をしていようと歩いていようと、何をしているときでも、自分のほんとうの願い「何をおいても、わたしは見たい」ということを心に留め続けた1日でしたが、今日もそれをする・・というのは、なかなか大変なことだなと感じました。
 
自我(エゴ)はエゴで、必死と言いますか、この世界をリアルだと思わせること、分離を選ばせることに一生懸命な感じで、つい、目の前のことに気を取られそうになるのです。
 
そのたびに、「何をおいても、わたしはこれを別の見方で見たい」と言い、もとに戻るということが繰り返されました。
 
目に入るあらゆるものにこれを当てはめていったとき、どれを見ても、なぜか「待ってくれている」という感じを受けました。
 
誰が何を待っているのか、言語化するのは難しいのですが、なんとか言葉を選んでみるなら、おそらくは、「愛がわたしを待ってくれている」ということなのだとおもいます。
 
いつも愛はそこに、たしかに在って、わたしがただ気づくのを待ってくれている。
神さまはただ信頼のなかで、わたしが夢から目を覚ますのを待ってくれている。
 
そのような感じです。
 
 
何かに長い間とらわれ続ける、思考し続けるということが、なくなってきました。
かつては、それはどうしようもないこと、望んでいなくったって、考え続けてしまうものだと思っていましたが、間違いなくそれは「仕方のないこと」ではなく、
 
「意図的なこと」、自分で、そこに留まり続けたくて――いまはこの大事なことに集中しなければならないだの、このことが解決するまでは他のことは考えられないだの、これはどうしても対処すべきことだのと言ってただ執着していたくて――そのようにしているだけのことなのです。
 
昨日も感じたことですが、どうしてこの世界に「重要なこと」があると思っていたんだろう、、どうして「真に見る」ということ以外のことに一生懸命になっていたんだろう、、信じられない、、そう感じます。
 
差異を見ること、有用性を見ること、危険なのか安全なのかを判断すること、自分の意見というものを持とうとすることがどれほど意味のないことか、この頃、ほんとうにしみじみと感じてしまいます。
 
すべてが「同じ」で、何からでも、誰からでも「同じ」ものを受け取らせていただける、その幸福以外のものを求めていただなんて、信じられないことだ、、そうおもうのです。
 
 
意味がないものに、自分で勝手に意味を与えて、それを「見ていること」だと思い込んでいたこと、とんでもない勘違いをしていたことを、とてもおかしく感じます。
 
 
「ほんとうに見る」ということを、その決意を、揺るがないものとしてキープし続けたいです。
 
 
Blessings,
 
2018.5.28
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック2 知覚のとびらをあけて/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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