奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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とても好きなレッスンの1つが、このレッスンです。
今日のこのレッスンは3度目です。
▶Lesson94
わたしは、神が創造されたままのわたしです。
▶Lesson110
わたしは、神が創造されたままのわたしです。
同じアイディアが繰り返されています。
今日のレッスン162では、冒頭でこのように述べられています。
心の中にしっかりと保たれているこのたったひとつの思いが、この世界を救います。わたしたちの学びが次の段階に達したとき、わたしたちはこの言葉を時々繰り返すようになるでしょう。
何か心が揺れ動くようなことがあったときは、いつもこの「わたしは、神が創造されたままのわたしです」という言葉が思いだされます。
これが「あなたがつくり出した世界に対する答えとして神が与え手くださった言葉」と書かれています。
学びはじめの頃は、こうした言葉をすっと受け入れることができませんでした。
心のどこかで喜びを感じているいっぽう、「それはわたしのことではない」と感じてしまっていたのです。
それは、明らかに、「わたし=この身体」だと思っていたからであり、自我(エゴ)と自分を同一視していたからにほかなりません。
この頃は、ワークをしていたり、祈っているときに、身体の感覚が遠のいていって、光が緩やかにゆらゆらとやさしく動いているような、「ここからここまでがわたしの肉体」という境目がない感覚がします。あるいは、すべてと溶け合っている感覚のときもあります。
「わたし=この身体」ではないという意識が深まり、永遠のスピリットであるということ、みなとひとつであるということへの確かさが増していっています。
ひとたび意識が身体に向いてしまうと、この確かさを忘れてしまいますが、消えたわけではないということに安心しています。
真実を変えることなどできません。それは、ほんとうに、幸せなことです。
わたしが、神が創造されたままのわたしだということは、世界のすべてもまた、神が創造されたままの存在なのです。
わたしは神が創造されたままの存在だけれど、犯罪者は違う、などということはありません。そのようにとらえているとしたら、何も学んでいないし、どうかしている、正気ではないのです。
わたしとは、この身体のことではないからこそ、はっきりと、確信を持って、言いたいです。
わたしは、神が創造されたままのわたしです。
いつかそうなるのではなく、いつかもっとマシに、いつか清らかに「なる」のではなく、いま、そうなのだということをただ静かに、謙虚に受け止める・・そのようにして日々を過ごしたいです。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック7 永遠の生命/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)