奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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今日のレッスンも非常に大切だと感じました。
死とはひとつの思いであり、いろいろなかたちをとっているために多くの場合気づかれていません。それは、悲しみ、恐れ、不安、疑いとして現れるかもしれません。身体に対する心配、うらやましく思うこと、自分ではないものになりたいという願望が、あなたをそそのかすためにとるあらゆるかたちで現れるかもしれません。そうした思いはみな、死を救い主として、解放を与えてくれるものとして、崇拝していることの反映にすぎません。
死はないということについて、初めてワークブックのレッスンに取り組んだときは、「うん、うん、受け入れられる。肉体はなくなっても、死んではないものね」と思っていました。子どもの頃から、幽霊の存在を感じたり、見たりしていたからです。
あの世があるということが、死はない証拠(?)のように思っていたように思います。
けれども、このレッスンの内容をよく読んでみると、そういったことを言っていないということがわかります。
そもそも、なぜ当時気づかなかったのだろうと思いますが、「体は死んでも、霊魂としては存在している」という考えには、死を認める思いが含まれています。死は存在しないのに。
6段落目で、
すべてのものが死ぬか、それとも生きて、死ぬことなどあり得ないか、そのどちらかです。
とあります。
また、8段落目には、
神は、死などつくっていません。したがって、死がどんなかたちをとっていても、幻想に違いありません。
と述べられています。
神が実在するのなら、死はあるはずがない。もし死があると考えるとしたら、それは、神を否定しているということ。
肉眼で見る世界は、やはり、実在してはいないのです。
この世界を、この肉体を、実在していると思うなら、死を見るしかないけれども、そもそもこの世界を神はつくらなかったし、わたしは肉体ではなく神の子なのです。
肉眼で見えるものを当てにして、それを事実の根拠だと思うような、意味のないことはやめて、ただ心の眼をひらくこと、ホーリースピリットのまなざしで見ることができるように、心をこめて、祈りたいと思います。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック7 永遠の生命/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)