奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson209:復習6 Lesson189

 
わたしは身体ではありません。わたしは自由です。
わたしは、今でも神が創造されたままのわたしだからです。

Lesson189
わたしは、自分の内に、今、神の愛を感じます。
 

今日はこのレッスンの復習です。この209の文章に

わたしの内なる神の愛がわたしを解放してくれます。

と書かれていますが、この箇所を読んで、うれしい気持ちになりました。

神の愛は途絶えることなく、わたしの内にあって、その愛がわたしを解き放ってくれる。それを邪魔しないように、ただその解放に任せていたいと思いました。

神の愛を自分の内に感じるというのは、それを感じ続けるというのは、意欲が大事だと今日一日過ごしてみて感じました。意識していないと、すぐに、自我(エゴ)の罠にかかりそうになります。

意欲を忘れなければ、ずっと愛を感じられる。
まだ「無意識」が、「つながり」や「一体性」のなかにいることではなく、自我に思いを預けてしまうことになっているうちは、ホーリースピリットや神の愛に意識を向け続けること、恐れではなく愛を選び続けるそのコミットメントがとても大切なのだと感じます。

注意深くなってみればわかることは、怯えている、ということです。
これといって、何か大きな恐怖を感じているわけではないけれども、24時間365日、つねに神の愛を感じているわけではないのなら、それは、怯えているということ。ちょっと身構えるというのもそうだし、他者への警戒心、猜疑心、何らかのジャッジメント、そういったものを、ほんのわずかであっても持っているのだとしたら、怯えているということです。

面白いなと感じてしまうことのひとつに、「歯磨き」があります。
虫歯にならないよう歯を磨くのだとしたら、歯磨きは、恐れに基づいた行為であるとしか言えないし、口臭予防だったとしても、どう考えても恐れがベースにあります。何であれ、結局のところは、自分が傷つかないように、気をつけているのです。

ワンネスが真実で、この世界が幻想だというのなら、この身体も文字通り幻想で、意味などないというのなら、歯を磨く「必要」はありません。ないけれども、じゃあいっさい磨いてはいけないのかと言えば、そういうことではありません。それは食事や睡眠、衣服を身にまとうことにおいても同じことが言えますが、それをしてはいけない、ということではないはずです。

それならば。
それならば、同じ歯を磨くのならば、そのときも、神の愛を感じて磨きたい。
食事をするときも、眠りに落ちる直前も、きっと夢の中でも、いつでもどこでも、何をしているにしても、防御のために一生懸命になるのではなく、神の愛を感じる時間として経験したいものです。あるいは誰かとの繋がりを感じる時間に。すべての兄弟姉妹に感謝する時間に。ゆるしの、奇跡のための時間に――。

そうでなければ、時間など、いくらあっても意味がないと思います。
そうでなければ、肉体など、どれだけ生き永らえたって意味がありません。

毎瞬、わたしの内に、神の愛を、兄弟姉妹の輝きを、感じていたいです。
すべてに感謝を、捧げたいです。

Blessings,
 
2018.11.25
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック8 豊かさの力学/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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