奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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今日復習するレッスンはこの2つです。
▶Lesson99
救いは、ここでのわたしの唯一の役割です。
▶Lesson100
わたしの役割は、神の救いの計画において、欠くことのできないものです。
「役割」と聞くと、むかしはどこか特別な響きを感じていましたが、すべての人の役割は同じだということのほうが、とてもしっくりきます。
唯一この世界にいて、本当にできること、意味のあること。
それを自分で決めることはできないし、自分で勝手に役割(はたらき)を付け足すこともできない。
救いをただ受け入れるということが、つまり進んで「ゆるす」ということが、どうしてこんなに難しく感じられるのか(もし本当にゆるしをおこなっているのなら、全世界をゆるしているし、すべての人をゆるし、ただ光だけを、愛だけを見ているはずです)、少し考えてみてふと出てきたことは、もし救われるのなら、何か償わなければならないような、そんな気がするからでは?ということ。
何もせずに救われて(ゆるされて)いいはずがない、という考え。
要するに、自分には罪があると思っているということ。
罪――??
法を犯してはいなくても、どこかに罪の意識がある・・・のでなければ、あんなに分厚いテキストと、あんなに細かい、しかも365日分の心のエクササイズが用意されなくとも、あっさりと簡単に世界をゆるしているはずです。
もしこの世界をゆるしているなら、苛立ったり動揺したり、不安を抱いたりするでしょうか。
老後の心配なんてするはずがないし、健康にこだわったり、他者に対して落胆したり腹が立ったりするはずがありません。
想像以上に、「自分」に関して罪の意識があるということ。
だから・・・「わたしの役割は、神の救いの計画において、欠くことのできないもの」なのだと感じます。
わたしの役割は、神の救いの計画において、欠くことのできないものです。
わたしは、世界を救う神の計画にとって欠くことができません。というのも、神はわたしに、世界を救えるように神の計画を与えてくださったのだから。
世界を救う神の計画――。
それは、わたし(たち)の、心に与えられたもののように思います。というのも、
世界を変えようとするのはやめなさい。そうではなく、世界についてのあなたの心を変えることを選びなさい。知覚は結果であって、原因ではない。
(『奇跡講座 テキスト編』第21章/中央アート出版社)
世界を嘆いても無駄である。世界を変えようとしても無駄である。それは結果にすぎないのだから、変わりようがない。しかし世界についてのあなたの考えを変えることならば、確かに意義がある。そうすれば、原因を変えることになるからである。その結果は自ずと変わっていく。
と述べられているからです。
世界についての、わたしの心を変えることを選ぶ。
世界についての、わたしの考えを変えることを選ぶ。
それは分離を選んだ(かに見えた)わたし(たち)の過ちが、ただの一度も起こってはいないという真実を、心の眼で見るという選択。
世界を救う神の計画は、他人事ではないのでした。
わたしの今日の、今の、この瞬間の選択は、世界の救いに関係しているのでした。
それは、「わたし」という人間に特別な役割があるからではなく、たったひとつのマインドの過ちは、訂正されなければならないし、実際すでにそれは果たされたということを、わたしは経験しなければならないからです。
わたしの役割は、神の救いの計画において、欠くことのできないものです。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック5 神の教師/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)