先月の20日から10日間ほど、体調を崩していました。2019年のちょうど同じ6月以来のことです。自律神経とホルモンバランスの乱れが生じ、とてもキツい状態でした(2019年のときは数日間歩くことができないほどでした)。

今回も2019年のときも、同じことを思った(コミットした)矢先に起きました。2019年のときは、アメリカはボストンで開催されたACIMカンファレンスに参加して感銘を受け、神の教師としての決断を強くし、日本のコース学習における、あることを大きく誓ったのですが、それがどうも非常に大きな抵抗を引き起こしたようでした。

 
大袈裟だと思われるかもしれませんが、10代の頃から、日本のこと、うまく言えませんが、“日本人のこころ”について考えていました。わたしのなかで言語化するのが難しい感覚ですが、“日本人のこころ”は、わたしにとって“自分ごと”でした。無視できないものとして感じられていましたし、何かここに大きなムーブメントが待っているという予感があったのです。

10代の頃のわたしにとって、それはまったく想像できないものでした。”大きなムーブメント”がいったいなんのことか、検討もつきません。でもここまで進んでみて、なんとなくですが、少しずつ明らかになってきているように感じています。

日本にこだわっているわけではありません。ただ、日本に生まれてきたし、日本語しか話せず、日本にいるから、というだけの理由ですが、20代になってもわたしは“日本人のこころ”について思いを寄せてきました。当時のわたしは変化が大事なのだと思っていました。ある年上の(当時その方は40代だったと思いますが)女性にその話をしたら、「だったら、政治家になるしかないよね」と言われ、わたしが感じていることはそういうことじゃないんだけどなと少し残念に思ったことと、だったらこのわたしの内側にずっとある感覚はなんなんだろう、それを言語化することができない、というもどかしさを感じたことを覚えています。

ムーブメントと言っても、政治や宗教とは関係がないのです。それは、こころの大きなムーブメントです。“日本人のこころ”の、大きなムーブメント。わたしの心がここに向けられると、どうやら、非常に抵抗が起こるようです。自我がものすごく反発するような感じ。でも、それには何の力もない、というふうにも感じます。なぜならそれは必然のこと、”結果は確実”だからです。抵抗したって、確実に起こることだと感じます。

 
   
何もできないのでベッドに横たわっていましたが、夢現の状態のときに、何度か、神の全き平安があるだけ、という感覚を経験しました。これまでも何度もありますが、より深いところで経験している感覚でした。神の平安以外の「何か」など、思い描くことなどできない、完全な静寂でした。わたしが望んでいるのはこれだけだと、半分寝ながら思っていました。また、すべてが完全に繋がっていてひとつであるという幸せな状態の中にいるときもありました(ある意味、神の平安と同じことですが)。Sonshipの麗しさに溶けているような感覚でした。わたしたちは“全的な”存在なのです。

目が覚めて思ったことは、「イエスがわたしにさせようとすることだけをしたい」ということでした(何度も思ってきたことですが、やはりこれだけなのです)。完全な媒体でありたいという思い。個人的なものは、やっぱり何も要らない。そこに平安はないし、救いはないから。全身全霊が“使われる”こと以外に、いったい何をここで望むというのだろう、という気持ち。

  
具合は良くなかったのですが、この間もzoomでのクラスは続けていました。ある意味、自我は(体の感覚としては)「フラフラ」なのですが、だからこそわたしのなかで、全身全霊を捧げる気持ちになれました。自分の(個人の)力で座っていることはできなかったからです。そして、そうであることで、“生かされている”ような感覚がしていました。

やはり、”いのち”と肉体は何の関係もないのです。地上において、唯一、”いのち”(神と分かち合っている一なる生命:Lesson167)を感じられるのは、真の祈りのなかにいるときだけだと思います。生きているのではなく、生かされている。むろん、この肉体とは何の関係もないこと(「肉体は生きもせず、死にもしない」T-6.V.A.1:4)。

”生かされている”というのは、わたしたちが分かち合っている、たったひとつの”いのち”の中にいるということを、神の全き平安の中にいるということを、受け入れている、受け取っているということ。脳が機能して心臓が動いていることとは何の関係もありません。

クラス中、わたしはみなさんの愛によって”生かされている”のだと感じていました。兄弟の神聖な光の中で。愛に支えられて。命は70億個あるのではなくて、たったひとつです。たったひとつの“いのち”に、”わたし”は支えられているのです。

 
 

だからこそ、もうわたしには、これだけなのだと言いたい。 

あなたの心と私の心がひとつになり、その光によってあなたの自我を追い払い、あなたが考えることと行うことのすべての中に神の強さを解き放つことができる。4これ以下のことで満足してはならない。そして、あなたのゴールとしてこれ以外のものを受け入れることを、拒否しなさい。5あなたの心の中にこれを達成するのを阻む信念がないかどうか注意深く見張って、それらの信念から遠ざかりなさい。6あなたがこれをどのくらいうまく行えたか、あなた自身の気持ちによって判断しなさい。

T-4.IV.8:3-6/『奇跡講座 上巻』
emphasis mine

 
イエスの心とひとつになり、わたしが考えることと行うことのすべての中に、神の強さを解き放つことができる——。
これだけがわたしのゴール。これ以下で満足しないこと。これ以外のゴールを持たないこと。

できる・できないではなく、望むか望まないかだなと思います。
わたしが考えることと行うことの「すべて」の中に……。すべてっていうのは、途方もないことのような気がする……。そう自我が言うとしても。それでもわたしは望みます、と、イエスに示したい。

 

ニューマン枢機卿の祈りを思い出しました。

イエスさま、わたしがどこにいても、
あなたのかおりを放つことができますよう、わたしを助けてください。

わたしの心をあなたのスピリットといのちで
あふれさせてください。

わたしの存在に浸み通り、わたしをとらえつくすことによって
わたしの生活のすべてが、
ひたすらあなたの光を輝かすものとなりますように。

わたしを、あなたの光を輝かせるものとしてお使いください。

わたしが出会うあらゆる人々が
わたしの中に、あなたの御姿を感じることができますよう、
わたしの内で輝いてください。

主よ、人々がもはやわたしではなくあなただけを見ますように。
わたしの中におとどまりください。

そうすれば、わたしがあなたの光で輝き、
わたしの光で他の人々も輝くことができるのです。

主よ、光はすべてあなたからのもの、
ごく僅かな光でさえ、わたしのものではありません。

あなたがわたしを通して人々を照らしておられるのです。

わたしの周りにいる人々を照らす、あなたへの賛美を
わたしの唇にのぼらせてください。

言葉よりも行動で、わたしの生き方、
あなたから与えられる、わたしのあなたへの愛が
目に見える光となって
あなたを人々に述べ伝えることができますように。

 

 

主よ、人々がもはやわたしではなくあなただけを見ますように。

この一文を時々祈るのですが、ずっと光を見たいと思っておられたある方が、先日のクラスで愛さんの中に光を見たんですと、教えてくださいました。愛さんじゃないというか、と。末吉愛を見ずにいてくださったこと、わたしたちの、誰の中にもある神の子の光をお受け取りになったこと(ご自身の光をご覧になったこと)が、嬉しく感じられました。
 

10日間、肉体としてはなかなか大変でしたが、とても深い贈り物を受け取る経験になりました。一連の流れを経て感じるのは、わたしたちの心の、大きなムーブメントは、言ってみれば、”神の強さを解き放つこと”なのかもしれない、ということです。

あなたの心と私の心がひとつになり、その光によってあなたの自我を追い払い、あなたが考えることと行うことのすべての中に神の強さを解き放つことができる。4これ以下のことで満足してはならない。そして、あなたのゴールとしてこれ以外のものを受け入れることを、拒否しなさい

考えることだけでなく、行うことについても含めてイエスが言ってくれているので、”大きなムーブメント”は、ある意味、形レベルでも大きなムーブメントとして現れてくるのだろうと感じています。
 

2023年6月の、フランシス来日のワークショップは、その序章だったような気がしています。まだまだこれから、日本で素晴らしい拡がりを見せることでしょう。何年も前から感じ取っていることがあります。それはすでに決まっていることだと感じます。
日本のコース学習者のみなさんと、心を一にして、大きなムーブメントを経験できたら嬉しいです。ブレずに学び、実践し、一貫性を保つことによって。垣根なしで(そのようなものは、実は、ないですものね♡)。

 
全身全霊を捧げます。後ろは振り返りません。
献身という真の喜びを、分かち合えますように。

Blessings,

2023.7.1配信
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