『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson352:判断を下すことと愛は正反対のものです。一方からはこの世界のすべての悲しみが生じます。もう一方からは、神ご自身の平和が訪れます。
  
ジャッジすることは、わたしのすることではありませんでした。
 
If it is your judgment it will be wrong, for judgment is not your function.

T-12.VII.12
 
 
裁くことによって、平安でいられるはずがありません。
裁くのは、恐れているからだと感じます。
 
何を見ても、肉眼で見るということは裁くということ(良いだの悪いだの、あーだのこーだの)、そもそもこの目は、裁くためのものだった、こんなにも裁かずにはいられないというのは、恐れに満ちているとしか言いようがない。
 
かつてそのように感じたことがあります。
 
 
美しく咲いている花を見るときは喜んだり、穏やかな気持ち、嬉しさを感じるけれども、枯れた植物を見て美しいと感じられていないのだとしたら、どちらに対しても無論ジャッジしているわけです。
 
人に対しても同じで、誰かのことを、特別優秀で素晴らしいのだと見るということは、確実に、そうでない人がいると考えていることを示しています。
 
ジャッジというのは、比較に基づいていて、「過去」を土台にしています。
実に、くだらない。
 
 
ジャッジには、愛の要素がまるでありません。
恐れていなければ、ジャッジするはずがないのです。自分を、弱き者と見ていなければ。
 
愛と恐れが、重なることはない。
裁くことを、攻撃する(対象の神聖性を見ない、ありのままを見ない)ことを選ぶなら、当然のことながら、悲しみを経験することになります。
 
ジャッジとは、まったく愛のない目で見るということ。
愛のない目で見ておきながら、愛を、平安を、経験できるはずがないのです。
 
 
愛のまなざしで見たい——。
 
それが唯一可能となるのは、自分が定義する愛によってどうこう判断することではなく(それは、ちっとも愛ではないのでした)、ゆるしによってでした。
 
 
「赦しは愛の地上的な形」(『奇跡講座 ワークブック編』レッスン186/中央アート出版社)なのでした。
 
 
誰についてであれ、これまであなたの心をよぎった善や悪といった考えを意識せず、裁かない者でありなさい。今、あなたは彼を知らない。しかし、あなたには彼について学ぶ自由があり、しかも彼を新しく学ぶ自由がある。今や、彼はあなたにとって生まれ変わっており、あなたは彼にとって生まれ変わっている。そこには、彼に死を宣告し、彼と共にあなたにも死を宣告した過去はなくなっている。今や、あなたと同じように、彼にも生きる自由がある。往古の学びは過ぎ去り、真理が再生できる場所が残されたからである。

(『奇跡講座 テキスト編』T-31.I.13/中央アート出版社)
 
 
美しいメッセージだと感じます。イエスの愛を、感じます。
 
 
今日はセッションが複数ありましたが、クライアントさんの輝きをほんとうに感じられました。誰もが祝福されていて、愛されている。何の罪もなく、完璧であるという真実に触れさせていただけるというのは、ほんとうに・・ありがたいことです。
 
決して、誰のことも裁かない。
イエスが見るように、ホーリースピリットが見るように、見られるようになること。
それを、これからもずっと続けていきたいと思います。
 
 
Blessings,
 
2019.4.17
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック13 サンシップ/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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