『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson347:怒りは必ず、判断を下すことから生じます。判断とは、奇跡を自分から遠ざけておくために、わたしが自分自身に対して使う武器です。
  
怒りについて振り返ってみます。
 
テキスト第6章の序章でこのように述べられている箇所がありました。
 
自分が攻撃されたと信じ、それに対する反撃が正当化されると信じ、そのことに自分は何の責任もないと信じているのでない限り、怒りが生じることはあり得ない。

(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)
 
 
自分が攻撃されたのだという判断(自分が否定された、見下された、ぞんざいに扱われた、愛されていない、認めてもらえない、わたしは脆弱だ、わたしは劣っている、わたしは醜い、わたしは無能だ、わたしは無力だ、などという判断)を抱いているからこそ、怒りが生じる。不平不満が出てくる。嘆き悲しむことになる。
 
 
判断についても、振り返ってみます。すでに繰り返し学んできたことです。
 
判断というものは、真理から身を守る防衛の武器として作り出された。それは判断されている対象を分離させ、あたかも別個のもののように引き離す。

(『奇跡講座 ワークブック編』レッスン311/中央アート出版社)
 
 
分離の思いを継続させるために、自己を弱きものとして、神から分離された、限りのある存在として見続ける。それがそっくりそのまま他者に映し出されて、相手の限りのなさ、清らかさ、美しさを見ずにおく。それどころか、良い・悪いの判断を下し、攻撃心を抱く。表に出そうが出すまいが、同じことです。ほんの少しの苛立ちであっても。
 
確かにそれは、奇跡(訂正)を、間違った(エゴの)知覚から正しい(ホーリースピリットの)知覚へと移行することを遠ざけることです。拒否することです。
 
 
判断は、そもそも、自分でできることではないのでした。
 
あなたが外側に見るものはどれもみな、あなたが内側に見たものについての判断である。それがあなたによる判断であるなら、間違ったものとなる。判断はあなたの機能ではないからである。それが聖霊による判断であるなら正しいものとなる。判断はまさに聖霊の機能だからである。一切の判断を自分の手もとに取っておかずに、聖霊が判断する通りに判断することによってのみ、あなたは聖霊の機能を共有する。あなたは自分自身に逆らう判断をするが、聖霊はあなたのための判断をする。

(『奇跡講座 テキスト編』第12章/中央アート出版社)
 
 
判断は、ホーリースピリットの機能であって、わたしの機能ではありません。
一切の判断を手もとに取っておかない。それは、わたしの願いです。
 
愛のまなざし——それも、わたしの定義する「愛」のまなざしなどではなく、神の愛を知っている、ホーリースピリットのまなざし——によってすべてを見るなら、世界は、神の愛があまねく行き渡っている、美しいところになる。
 
ありがとう、そう心から言える世界に。
 
 
Blessings,
 
2019.4.12
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック13 サンシップ/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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