『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson342:わたしは、ゆるしをすべてのものの上にとどまらせます。そうすることで、わたしにもゆるしが与えられるからです。
  
真に願いたい、もう先延ばしにはしたくない、そう思える祈りです。
 
この世界は地獄だけれども、地獄が実在するはずはありません。
ほんとうに‥神の子の無罪性を、つまり神聖性を、見たい、見るのみだと感じます。
 
祈りのあとのコメントのところに、
 
兄弟よ、今こそわたしをゆるしてください。あなたを一緒にわが家へ連れ帰るために、わたしは来ました。

とあります。
 
イエスが「わたしをゆるして」ほしいと述べているレッスンは過去にもありました。
 
今日、私を赦してほしい。兄弟を聖性の光の中に見るとき、あなたは自分が私を赦したと知るだろう。彼が私よりも神聖でないということはありえず、あなたが彼よりも神聖だということもありえない。

(『奇跡講座 ワークブック編』レッスン288/中央アート出版社)
 
 
また、テキスト第19章には
 
私を、あなたにとって罪悪の終わりを象徴するものにしてほしい。そして、私を見るように、あなたの兄弟を見なさい。神の子が犯したとあなたが思っている罪について、私を赦してほしい。そして、あなたの赦しの光の中で、彼は自分が誰であるかを思い出し、一度も存在したことがないものを忘れるだろう。私はあなたの赦しを請う。なぜなら、もしあなたが有罪であるなら、私もそうに違いないからである。しかし、私が罪悪を克服して、世に勝ったのなら、あなたは私と共に居たのである。あなたにとって私が意味しているものを、あなたは自分自身の中に見るということを思い出すとき、あなたは私の中に罪悪の象徴を見ようとするだろうか。それとも、罪悪の終わりを見ようとするだろうか。

(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)
 
このように述べられている箇所があります。
 
 
イエスはみんなの罪を背負って磔になったのではなく、神の子の無罪を示してくれたのでした。
イエスをゆるすというのは、もちろん、イエスに罪があったことを認めて、でもそれを水に流すということではなく、神の子は無罪なのだと受け入れる(思いだす)ということ。つまり、兄弟姉妹の全員の無罪を、です。
 
(イエスをゆるすということについては、ケネス・ワプニックさんの『奇跡講座入門』、『赦しのカリキュラム』に詳細に説明されている箇所があります)
 
 
誰のなかにも罪を見ないことで、自分自身の無罪を真に思いだせる——。
これは繰り返し学んできたことです。
 
ほんとうに目を覚ましたいのなら、ただひとつできること、唯一意味のある「ゆるし」をするのみです。
ゆるすとき、自分がすでにゆるされていたこと、幻想の世界がみな聖霊に取り消されていたこと、そもそも何の罪もなかったということが、思いだされる。
 
死はないし、罪もない。
だから少しも、防衛する必要がない。
何もする必要がない。
 
それはとても安らかなことだと感じます。
 
 
Blessings,
 
2019.4.7
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック13 サンシップ/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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