『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson341:わたしが攻撃できるのはわたし自身の罪のなさだけであり、わたしを安全に保つのもわたし自身の罪のなさだけです。
今日はまず、攻撃と罪について振り返ってみたいと思います。
テキスト第13章にこうあります。
罪悪感を感じていなかったなら、あなたが攻撃することはあり得ない。咎めが攻撃の根源だからである。それは一つの心が別の心を、愛に値せず、処罰されるべきものとして裁くことである。しかし、ここには分裂がある。というのも、裁いている心は、裁かれている心から分離したものとして自らを知覚しており、他者を処罰すれば自分は処罰を免れられると信じているからである。こうしたことのすべては、心が自らを否定しておきながら否定の罰からは逃れようとする妄想的な試みに他ならない。それは否定をやめようとする試みではなく、それにしがみつこうとする試みである。なぜなら、あなたにとって父を曖昧模糊にしたのは罪悪感であり、あなたを狂気に駆り立てたのも罪悪感だからである。
(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)
攻撃に至る理由は、分離の罪悪感が横たわっているからで、自分のなかで感じている罪悪感を見ないで済むようにするために、投影というからくりを使って、まるで自分には何の非もなく、裁かれるに値しないのだと自分を正当化する方法、それが攻撃なのでした。
けれども、改めて思いだしたいことは、分離は一度も起こってはいないし、神はこの世界をつくってなどいないのです。分離していないのなら、この世界が実在していないのなら、神と神の子はひとつであり、兄弟姉妹はひとつ、愛そのもの、光そのものであるなら、罪悪感を持つ必要があるでしょうか。何もしていないというのに。
誰かの何かを——ほんのちょっとしたことでも——責めるなら、それは何をしているかと言えば、自分は攻撃された(否定された、邪魔された、傷つけられた、時間をとられた、など)と勘違いをしたからで、その勘違いの奥には、そもそも自分が自分を責める思い——真の愛である完璧な神から分離したことを責める思い——があったからで、自分を責めているということは、むろん、「その行為は罪だ」とみなしたからです。
自分の奥に隠したつもりになっている罪悪感を見ないでいられるなら、文句をつける対象は何でもいいのです。
ごく小さなこと(本来、問題に大きいも小さいもありませんが)で言えば、「あなたっていつも○○よね、こっちは迷惑しているのよ」、「自分のことを棚に上げて、よくもまあ、そんなことが言えるわね」などと非難し合うような、ちょっとしたことでも、そのやり取りに表れているのは、「他者を処罰すれば自分は処罰を免れられると信じている」ということなのだから、そう思うと、おかしくて笑えてしまいます。
実は一生懸命、攻撃できるはずはないのに、何を攻撃しようとしているのかと言えば、「他者」ではなく、「自分」、自分の罪のなさ、清らかさ、完璧さ、「わたしは完璧な、聖なる神の子である」という事実なのでした。
テキストの第10章に
攻撃するとき、あなたは自分自身を否定している
すべての攻撃は自己攻撃である
攻撃とは穴tなお自己認識が失われる方法である
と、はっきりと述べられていますし、
第13章でも、
あなたが咎めることができる相手は自分自身だけである。そして、それをすることにより、あなたは自分が神の子であると知ることができなくなる。
と書かれています(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)。
▶Lesson26
わたしの攻撃心は、傷つくことができないはずの自分を攻撃しています。
わたしの攻撃心は、傷つくことができないはずの自分を攻撃しています。
▶Lesson196
わたしが磔にするのは、わたし自身だけです。
わたしが磔にするのは、わたし自身だけです。
▶Lesson198
わたしの非難だけがわたしを傷つけます。
わたしの非難だけがわたしを傷つけます。
▶Lesson281
わたしの思い以外に、わたしを傷つけるものはありません。
わたしの思い以外に、わたしを傷つけるものはありません。
▶Lesson338
わたしは、自分の思考にのみ影響されます。
わたしは、自分の思考にのみ影響されます。
これまで、どれだけ繰り返し学んできたことでしょうか。
この幻想の世界で、自分が作ったドラマのなかで、何が起こったかに注目し、加害者・被害者、善と悪、勝者と敗者、そのように分裂させて見て、間違って認識している自分、嘘のアイデンティティを守るために自分を正当化し、つまり他者を否定し、自分のことも相手のことも身体だとみなし、心の奥底で「神の子」の死を思う、自我の意図に従って、なおも幸福を求めるなどというのは、狂っているとしか言いようがありません。
神の子は有罪ではなく、無罪です。
つまり兄弟姉妹、全員が無辜であり、愛そのもの、神聖なスピリットなのです。
肉眼で見たがるのは罪であり、責め立てられる何か(何でもいいのです)でした。
それを、やめること。
それを、やめること。
ホーリースピリットのまなざしで見るなら、みんな無罪です。
ただ間違っていただけなのです。ただ眠っていただけ。
ただ間違っていただけなのです。ただ眠っていただけ。
▶Lesson337
わたしの罪のなさは、わたしを、すべての危害から守ります。
わたしの罪のなさは、わたしを、すべての危害から守ります。
わたしが、わたし(神の子)としてとどまっていることは事実です。
その事実が、こんな世界にいると思い込んでいようとも、わたしを安全に保ってくれます。
真実は、永遠に真実だからです。
その事実が、こんな世界にいると思い込んでいようとも、わたしを安全に保ってくれます。
真実は、永遠に真実だからです。
それがそうなのだと完全に知れるのは、言うまでもなく、兄弟姉妹全員、ひとり残らず、みなの無罪性を見ることです。完璧さを、清らかさを、その輝きと美しさを。
それ以外に、ここにいてすることは何もありません。
Blessings,
愛
愛
2019.4.6
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック13 サンシップ/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック13 サンシップ/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)