『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson259:罪は存在しないということを思い出させてください。
  
罪に関しては、ケネス・ワプニックさんの著書『奇跡講座入門』(中央アート出版社)で
 
罪が実在するということを私たちに教えるものは、罪悪感です。やましい気持ちは、常に、「私は罪を犯した」という言明です。そして罪というものが究極に意味しているのは、「私は自分自身を神から分離してしまった」ということです。ですから、私が自分の罪は実在すると信じている限り、私は有罪だということになります。そして私が罪悪感を自分の中に見ようと他人の中に見ようと、私は「罪は実在するし、自我も実在する」と言っていることになります。だから、自我は、私たちを有罪のままにしておくことが死活問題だと思っているのです。

このように述べられている箇所があります。
 
 
テキストの第13章では、
 
罪悪感だけが父を隠すものであり続ける。罪悪感とは神の子に対する攻撃だからである。罪悪感を抱く者たちは常に咎める。そして、すでに咎めた上でさらに咎めるので、自我の法則通りに、未来を過去に連結させる。

 
兄弟を咎めるとき、あなたは、「有罪であった私は、有罪のままでいることを選択する」と言っているのである。

 
誰のことも有罪と見ずにいなさい。そうすれば、あなたは無罪性という真理を自分自身に肯定することになる。あなたが神の子に差し出す咎めの一つひとつの中に、あなた自身の罪悪についての確信がある。もしあなたが聖霊にそこから自由にしてもらいたいのなら、すべての兄弟たちのために、聖霊から差し出されている贖罪を受け入れなさい。なぜなら、そのようにして、あなたはそれが自分にとって真実だと学ぶからである。

 
罪悪感は常に、自らを咎めたあなたの心の中にある。それを投影してはならない。

(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)
 
と書かれているところがあります。
 
 
神から分離した(と思い込んでいる)ことに罪悪感を抱いていて、その根深い思いが顕在化されることのないように、投影というからくりを使って、誰かの罪を見、咎め、攻撃する。ほんの少しでも、誰かのことをジャッジしているとしたら、神の子を否定している、攻撃しているのであり、つまりそれは、自分への有罪判決を繰り返し、自分の中にある罪悪感を強化することになるということ。
 
ほんとうに、罪のなさを見たいかどうか。
本気で、「罪は存在しないということを思い出させてください」と言えるかどうか。考えさせられました。

自分自身の無罪性を、ほんとうに受け入れたいと感じているかどうか。
もう意味のない投影などしないと固くコミットできるかどうか。
 
愛には敵対するものはない。神の子は脅かされることはない。

わたし=この身体(有罪)という、間違ったアイデンティティを手放して、神の子であるという真実を、罪はないということをほんとうに・・思い出したい。そう思います。

 
 
Blessings,
 
2019.1.14
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック10 特別性の終焉/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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