『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson235:神は、慈悲をもって、わたしが救われることを意図されています。
朝祈ったときは、清められていくような感覚がありました。
不要な思いが取り払われる感じ。
 
祈りの言葉のなかに、
 
わたしには、罪悪感も罪もありません。

とあります。
 
 
テキストの第13章に
あなたが自分自身に目を向け、自分が行うことを正直に判断するなら、どうして自分が無罪であり得るだろうと訝りたくなるかもしれない。だが、次のように考えなさい。あなたが無罪だというのは、時間の中ではなく、永遠においてのことである。あなたは過去において「罪を犯した」が、過去は存在しない。

とあり、この続きに、
 
常なるものには方向がない。時間は一つの方向に進むかに見えるが、あなたがその執着点に達したときには、あなたの背後の過去に沿って長々と敷かれていた絨毯のように、くるくると巻き取られて消えてしまう。神の子が有罪だと信じている限り、あなたはこの絨毯の上を、行き着く先は死だと信じながら歩き続ける。そして、その旅は長く残酷で無意味なものに思えるだろう。実際、その通りだからである。

と述べられています(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)。
 
この続きに、聖霊(ホーリースピリット)は時間の執着点にいて、聖霊とともにいるわたしも、そこにいるのだと書かれてあります。
 
神の子にふさわしくない一切を、聖霊はすでに取り消している。それが、聖霊が神から授かった使命だからである。

とも。
 
 
神は神の子を咎めたことは一度もなく、無罪の神の子は永遠である。

このようにも記されています。
 
 
分離をしたかに見えた、その夢は、もう取り消されていて、それはけっして実在しておらず、神は一度も咎めたことはない。
分離したのだという思い、そして、だからこそ神に罰せられるはずだと考える思い、そのようなものは、もつ必要がない。
 
 
愛でないものを見たと感じたら、それに反応するのではなく、しずかに、
 
「神は、わたしがこのことから救われることを意図されている」と完璧な確信をもって自分自身に言い、単にそれらが姿を消すのを見守るだけでいいのです。

 
今日、そうしてみました。
 
出来事が変わることが救いなのではなくて、外側によらず、平安はここにある、神の子は実在する、永遠のスピリットは変わらない、真の安全はゆるがない、わたしは神の子のままである――そうしたことを、深く感じられること、思いだせることが救いだと感じます。
 
確かに幻想は姿を消し去り、愛をわかち合える喜びだけが拡がります。感謝が、あふれます。
神の子の美しさ、清らかさを見ることをとおして、神に感謝したいとおもいます。
 
 
Blessings,
 
2018.12.21
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック9 祈りのある生き方/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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