奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
初めて読まれる方はこちら

 

Lesson170:神には残酷さはないので、わたしにもありません。

 
今日の内容は、根本的な部分に触れている、大事なレッスンだと感じました。

書いてあることを、文章として理解することはできても、まだ、その真意を深く理解するところまでには至っていないように感じますが、今受け取れることを、今受け取りたいと思います。

最後の障害物、最も信じがたいものとは存在していないもの、つまり、一見通り抜けられそうになく、恐ろしげで、とても克服できるとは思えないどっしりとした岩の塊のように見える障害物とは、神ご自身に対する恐れです。ここに、恐れの思いを自我の神としてあがめる基本的な前提があります。恐れは、それを崇拝する者たちによって愛されるからであり、そうなると、愛は残酷さを備えているように見えるからです。

 

最後の障害物、、神ご自身に対する恐れ。

深い部分、、顕在化していない部分だと思いますが、たとえば何かひどく辛い目に遭っているときに、「どうしてこんな目に。わたしが何をしたというの」と腹立たしく思ったとして、このセリフをいったい誰に向かって言っているのか考えれば、それは紛れもなく神に対して言っているのだとわかります。

地震などの災害があったときでも、「どうしてわたしたちが。何の罪でこのような目に」と思うかもしれませんが、この嘆きと訴えは、神に向けられているはずなのです。

こんな苦しみを、なぜ神はわたしに与えるのか。
神はなぜわたしを、わたしたちを見放したのか。

そのような思いが、奥底にあるのが見えてくるだろうと思います。

 

テキスト第10章にこのように書かれているところがあります(長いので、分けて引用します)。

永遠なるものだけが、愛されることが可能である。愛は死ぬことはないからである。神からのものは永遠に神のものであり、あなたは神からのものである。神は苦しむことをご自身に容認するだろうか。そして、ご自身に受け入れられないようなものを、神の子に差し出すだろうか。神に創造されたままの自分を受け入れるなら、あなたが苦しむことは不可能になる。

だが、そうするためには、あなたは神を自分の創造主と認めなければならない。これは、そうしなければあなたが罰せられるからではない。それは単に、あなたが父を認めることが、すなわち、ありのままのあなたを認めることだからである。あなたの父はあなたを、まったく罪がなく、苦痛もなく、いかなる種類の苦しみも被ることのない者として創造した。

(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)

 

自我を神とするのではなく、ただ創造主を、愛そのものである神を受け入れる・・それが、ほんとうの自己を受け入れることでもある・・ということを、深く受け止めたいです。

何も恐れる必要はなく、防衛も正当化もせず、無防備でいること、真実だけを受け入れること。
今日のレッスンの最後の祈りを、大切に祈り続けたいと思います。

Blessings,
 
2018.10.17
 
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック7 永遠の生命/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 
 
(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
その他のレッスン記録についてはこちら
 
 
時折配信しています◎お気軽にご登録ください