奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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この世界を実在しているのだと信じ込んでいると、経験するのは痛みであって、答えのないところに、救いのないところにそれらを探して、決して見つからないことへの悲しみを、抱え続けるしかありません。
もし真実がこの世界をあきらめることを要求したら、その人たちは、まるで現実の何かを犠牲にするよう頼まれていると思うでしょう。多くの人たちが、まだこの世界は現実だと信じつつ、この世界を捨てることを選んでいます。だから、喪失感に苦しんでいて、解放されていないのです。他の人たちはこの世界だけを選び、もっと深い喪失感に苦しんでいますが、そのことを理解していません。
今日のレッスン第4段落目の内容です。
物心ついた頃から20代まで(ある体験をするその日まで)は、すっかり、この世界が実在すると信じきっていたので、「もっと深い喪失感に苦しんで」いたように思います。意識化されることがほとんどなくても、虚無感や孤独感というものは(たとえごく一般的な家庭で育って、いつも恵まれていたとは言え)拭えなかったことは憶えています。
この世界をリアルだと信じるいっぽうで、その、「実在している世界」を捨てなければならないのだと考えたとしたら、それは非常につらい状態、葛藤せずにはいられない状態になることは明らかです。これは、奇跡のコースを学ぶようになって抱えるようになったものです。
5、6年ほど経って、ようやく、この間違った犠牲の考えが薄らいできました。
犠牲という考えについては、たとえばテキスト第7章ではこのように述べられている箇所があります。
あなたは苦痛とは何かを認識していないのと同様に、喜びとは何かを知らず、実は、その二つを混同しがちである。聖霊の主な機能は、それらの見分け方をあなたに教えることである。あなたにとって喜ばしいことは自我にとっては苦痛であり、自分が何であるかについて混乱している間は、あなたは喜びと苦痛を混同する。この混同が、犠牲という考え全体の原因である。
(『奇跡講座 テキスト編』/中央アート出版社)
マニュアル編(中央アート出版社)では、質問の13番目に「犠牲の真の意味は何か」というのがあり、ここをすべて読んでみたときに、わたしのなかで変化がありました。少し引用すると、
別の思考体系が定着できるようになる前にまず取り除かれなければならない最初の幻想とは、この世界のものごとを手放すことは犠牲だという考えである。この世界自体が幻想でしかないのだから、この考えが幻想でなくて何だろうか。
この世界が与えることのできるものなど何もないという事実を悟り、受け入れるには、多大な学びを必要とする。無を犠牲にすることに、どのような意味があり得るだろうか。それは、そうした犠牲のゆえにあなたの持ち分が減るという意味にはなり得ない。この世界が定義する犠牲で、肉体に関連しないものはない。
と書かれています(いずれもマーカー部分はわたしが引いた箇所です)。
マニュアル編のこの続きは非常に深いので、持っておられる方にはぜひ読んでいただきたい箇所です。
自分自身を身体だと思っているうちは、ほんとうの喜びが何かわからないし、この世界をリアルだと思い込んでいるのだから、在るものをあきらめないといけないという勘違いをしてしまいます。
でも、この世界は実在していないし、ということは、この身体は「わたし」ではないし、存在しないものを「手放す」というのは、おかしなことなのだから(「無」をあきらめるなどということはできないのだから)、何も怖れる必要はないのです。
その、ほんとうの判断が、自分ではできないのだから、「わたしは引き下がり、神に先導してもら」うことが、何より大切なのだということを、深く受け止めたいです。
自分では何も計画せず、おひとりおひとり、兄弟姉妹を心に招き、祝福し、讃え、その神聖性だけを見させていただく、その確かな道だけを歩みます。わたしは、そのためだけにいるのでした。
かつては、このようなことは、たとえばマザーテレサや、ガンジー、ダライ・ラマといった方々だけがなさること、可能なことだと思っていました。けれども、それは逃避なのだと、もう気づいていますし、そうやって自己の聖性に背を向けて、エゴを教師とする生き方を正当化しようという気持ちはなくなりました。
神聖な人だけができることではなくて、神聖性をみなわかち合っているのです。神聖性の失われた人などいないのです。自分を忌み嫌うとしたら、自己を否定するとしたら、それは、世界のすべての人々を否定していることと同じですし、神という愛そのものの心を否定しているのと同じことです。
もう、ばかばかしいことは続けたくありません。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック56 完全な治癒/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)