奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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わかった気にならずに、理解を深めたいと感じる箇所は、第1段落目の
この世界は安全をもたらしてはくれません。攻撃することに根差していて、安全に思える「贈り物」はみな、錯覚に基づくごまかしです。この世界は攻撃し、さらにまた攻撃します。こんなふうに危険に脅かされているところでは心の平和など不可能です。
という箇所。
まず思い出したのはこのレッスンです。
▶Lesson22
わたしが見ているのは、報復が形になったものです。
「自分はそんな、攻撃なんてしていませんけど??」と思うのはごまかしで、たとえばレッスン23では、
あなたの見ている世界は復讐心に燃えた世界であり、その中にあるものはみな、復讐の象徴である。「外にある現実」についてのあなたの知覚はいずれも、あなた自身の攻撃的な考えが映像として表現されたものである。
(『奇跡講座 ワークブック編」/中央アート出版社)
と述べられていました。
自我の存在についての唯一の責任を選んで受け入れようとするとき、あなたはすべての怒りとすべての攻撃を脇に置いたことになる。なぜなら、怒りも攻撃もあなた自身の誤りの責任を投影しようとする試みから生じるからである。
(『奇跡講座 テキスト編」第7章/中央アート出版社)
ケネス・ワプニックさんの著書『奇跡の原理』(中央アート出版社)に、防衛について説明されている箇所があります。
自我の凶暴さとは、常に、何らかの形の恐れや恐怖です。それが、投影されて、怒り、混乱などとなります。自我は、私たちが防衛を手放すなら、文字通り、地獄のような大混乱が生じると私たちに告げます。心理学者も、「私たちが防衛をもたなければ精神障害になる」と言うとき、同じ罠に陥っています。実際には、反対なのです。防衛しないことで、正気になるのです。精神障害にはなりません。けれども、だからといって、それでは人々から防衛を取り除けばいいという意味にはなりません。そのプロセスは、非常に優しく、愛が込められたものでなければなりません。…(中略)…私たちはすべての防衛を引き剥がさなければならないということではありません。それが意味することは、もしあなたが聖霊の導きに従うのなら、ゴールは「防衛をしないようになること」であるという意味です。そして、自分の中を見つめるとき、そこに罪を見ないようになります。そして、罪はもともとなかったとわかるようになります。それが、旅の終着地点です。
防御しないことは強さ。防御することは弱さ。
今日のレッスンにはそのように書かれています。
自分のことを自我だと、身体だと思っていたら、脆弱な自己を守らなければならないけれども(病気にならないよう生活に気をつけたり、保険に加入したり、一生懸命着飾ったり、自分のほうが正しいと主張したり、それはもうたくさん!)、わたしとは、永遠のスピリットなのだから、神に創造されたままの存在なのだから、傷つくはずがない、死ぬこともないのでした。
今日のレッスンの第11段落目は、とても響きました。このような生き方がいいと、しみじみ思います。
わたしの決心は、変わりません。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック56 完全な治癒/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)