奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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今日復習するレッスンはこの2つです。
▶Lesson103
神は、愛なので、幸福でもあります。
▶Lesson104
わたしは、本当にわたしに属するものだけを求めます。
まず、レッスン103ですが、この復習パートではこう書かれています。
愛とは幸福であり、それ以外のものは何ひとつ喜びをもたらさないことを覚えておきます。そして、それゆえに、愛の代わりになるものを心に抱かないことを選びます。
愛の代わりになるものを心に抱かない。
そもそも愛の代替物はないのだということを、忘れてはいけないなと思います。
神が愛だということに関しては、以前の▶Lesson103で触れました。
レッスン104、「わたしは、本当にわたしに属するものだけを求めます」。
本当にわたしに属するもの。愛、喜び。
愛や、喜びについて、間違った認識を持っていること、別なものと混同していることを、まず受け入れることが大切なのではないかと思います。
苦痛と喜びの混同については昨日▶Lesson116で、テキストから引用して触れました。
愛が何かわかっていて、喜びが何かわかっていると考えるとき、「本当にわたしに属するもの」を見失うのではないでしょうか。
自分が何も知らないということを常に憶えており、一切を学ぼうとする意欲をもつようになった者は、それを学ぶだろう。しかし、自分自身に頼るとき、彼らは学ばないだろう。自分がすでに知っていると考えることにより、彼らは学ぶための動機を破壊している。完全なる平和の識別法(テスト)に合格するまでは、何も理解していると思ってはならない。なぜなら、平安と理解は一対になっており、決してどちらか一方だけが単独で見出されることはないからである。平安と理解が分離しないということが神の法則であるから、どちらも、他方を一緒に運んでくる。それらは互いに原因と結果をなしており、一方が不在のところには、他方も存在できない。
(『奇跡講座 テキスト編』代14章/中央アート出版社)
このようなこともテキストには書かれています。
聖霊はあなたが葛藤を理解することは望まない。葛藤は無意味なので、それは理解不可能だということを、あなたにわからせたいと思っている。(T-7.Ⅵ.6:5)
あなたが平安を望むのであれば、あなたは葛藤という考えをそっくりそのまま、永久に、放棄しなければならない。(T-7.Ⅵ.8:9-10)
本当に属するものだけを、愛を、喜びを、平安を選びたい。でも、ときには不安になり、焦り、心配し、ざわついたり、落胆したりもする・・・などというジレンマが正当化されるはずはないのです。
葛藤という考えを完全に放棄して、本当にわたしに属するものだけを求めたいです。
愛
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック5 神の教師/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)