『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson78:奇跡がすべての不平不満に取って代わりますように。
 
 
長めのほうの練習では、ある人のことがふと思い浮かんだので、その人に対しておこなってみました。
一度も実際にはお会いしたことがないのですが、その人が「待ってくれていた」と感じました。
 
待ってくれていた。
神聖性を思い出すことを、待ってくれていた。
 
ほんとうは最初から教えてくれていた。
神聖性だけを見せてくれていたのに、わたしが見ようとしていなかったんだと気づきました。
 
そして、それは、誰とのことであっても、全く同じなのですよね。
 
特定の、この人だけが、神聖性に気づくのを待ってくれていたり、見せてくれている…というわけではなくて、誰もがほんとうはそうなのだということ。
 
不平不満を持つと、それがまったくわからなくなる。
もうちょっと、こういうふうだったらいいのに。なんでこう、理解力に乏しいんだろう。
そんなふうに、少しでも何か、足りなさを見ることで、神聖性が見えなくなってしまう……。
 
 
わたしが初めてテキストを読んだときに、衝撃的だった箇所はいくつもあるのですが、そのなかの1つに次の文があります。
 
兄弟が正気でない行動をしているとき、あなたは彼の中に正気を知覚することによってしか彼を癒すことはできない。あなたが彼の誤りを知覚し、それを受け入れるなら、あなた自身の誤りを受け入れていることになる。
 
 
あなたに任されているのは、兄弟を変えることではなく、彼をただありのままに受け容れることである。
 
 
あなたの誤りがあなたに属するものではないのと同じように、あなたの兄弟の誤りも彼に属するものではない。彼の誤りを実在のものとして受け入れるなら、あなたは自分自身を攻撃したのである。
 
(『奇跡講座 テキスト編』第9章/中央アート出版)
 
 
 
物事においても誰かのことにおいても、「より良くなったほうがいい」、「変えたほうがいい」と考えるときは、気をつけたいものだとおもいます。
 
この世界は実在してはいないというのに、いったい何をそんなに変えたいと思っているのか。何が足りないと思っているのか。
最も重要なのは何であったか。わたしの唯一の役割とは何であったか。
この世界の、真の目的は何であったのか。
 
これらすべては、これまでのレッスンで学んできたことです。
けっして忘れたくない、忘れまい、とおもいます。

 
Blessings,
 
2018.7.17
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック3 聖なる関係①/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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