『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson72:不平不満を抱くことは、神の救いの計画に対する攻撃です。
 
 
今日のレッスンは、昨日のそれより・・さらに強烈だなと思いました。笑
 
エゴの根本的な願望とは神に取って代わることです。実際のところ、エゴとはそのような願望を物質的に具体化したものです。
 
 
と、最初のほうに書かれています。
 
 
また、不平不満というのは、身体に関連しているのだと述べられており、
 
ある人があなたの気に入らないことを言った、その人が何かあなたの気に障ることをした、その人の行動は彼の敵意ある思いを「うっかり漏らしているのだ」というように。
 
あなたはここで、本当のその人を論じているのではありません。それどころか、もっぱら彼の身体が何をしているかだけを気にしています。あなたがしているのは、彼を身体の制限から解放する手伝いに失敗している以上のことです。彼を身体と混同し、それらをひとつのものと決めつけることで、その人を積極的に身体に拘束しようとしています。このようにして、神は攻撃されているのです。
 
と続きます(なぜこれが神に対する攻撃になるのかは、このあとに書かれています)。
 
 
このあたりを読んだとき、テキストの第8章を思いだしました。
 
兄弟を肉体と見なすとき、あなたは彼に有罪宣告をしている。なぜなら、あなたは自分自身に有罪宣告をしたからである。
 
 
自我にとっては、肉体とは攻撃の手段である。あなたを肉体と同一視している自我は、あなた自身が攻撃の手段だと教える。

 
 
人を肉体だと見なして、不平不満を抱くことが、どれだけ「どうかしている」ことなのか、気づかされます。
 
肉体だと見なすことだけでも、もう、そうれは、相手を閉じ込めておくようなものだと思います。
実際のところは、相手を閉じ込めることなどできませんが、相手を身体だと見なすということは、自分自身を制限あるものとして見なしているということであり、ほんとうのその人(永遠のスピリット、愛そのもの、光)をまったく見ていないということ。相手も自分も、「有罪」にしてしまっているということ。
 
そんな愚かなことは、したくない・・とおもいます。
 
 
今日の長めの練習でも、短い練習のほうでも、同じ答えを受け取りました。
 
たしかに・・これだけだなと感じました。
 
その「答え」は、そう言えば、テキストで何度か目にした言葉でした。

今日受け取ったギフトを、とても大切したいです。
ギフトをほんとうに受け取る、ということは、つまり、その教えが全面的に表現されているということ。
 
全面的に、です。
 
思いをそこに向け続けたいとおもいます。
 
 
Blessings,
 
2018.7.11
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック3 聖なる関係①/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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