#018
今回は、ものの見方について
書いてみたいと思います。
なおご紹介くださる場合は、このページのリンクを
お知らせいただけましたらと存じます。
(本文のコピーはできません©️)
*
最近のclubhouseやクラスでお話したこと、
ヴァーサスか、イコールか、
ということについて
もう少し詳しく書いてみます。
コースでは、
選択肢は2つだということが
繰り返し述べられています。
(厳密には、実は1つですが◎)
自我(ego)か聖霊(Holy Spirit)か、
このどちらか、でしたね^^
それは言い換えるなら・・
裁きかヴィジョンか、
肉体を見るか“いのち”を見るか、
有罪か無罪か、
分離か融合か、
幻想か真理か、
いずれも同じことを指しています。
人間関係で言うと・・
分離を信じているなら
=自我(ego)を教師にしているなら、
相手を肉体とみなす
=裁く(ジャッジする)ことになります。
自分 vs. 他者
となっているわけですね。
自分は無罪、相手は有罪
とみなすわけです。
たとえどれだけ「仲良し」でも、
自我を選んでいるなら
自分 vs. 他者
自分 対 自分ではないこの人
というふうに、分離を見ています。
いっぽう聖霊(Holy Spirit)を選ぶなら、
=繋がりを思い出すことを望むなら
相手を兄弟として心に迎え入れて、
相手の中の“いのち”を、光を
見ることになります。
自分 = 相手
となっているわけです。
自分も相手も真に無垢な存在
という真実を受け入れる心です。
過去にどんなことがあったとしても、
自分 = 相手
わたしたちは対等な神の子、
繋がっていて(融合していて)ひとつの
同じ聖なる神の子だと見る心の状態です。
どちらを経験するかは、
いつも自分の心が決めています。
望んだほうを経験することになります。
このことに例外はありません。
ちなみに・・・
versusという単語はコースにおいては
このようなところで使われています。
知覚 対 智識
分離 対 融合
タイトルで使われています。
知覚は分離の世界だけのものであり、
智識は天国と同義語です。
versusが成立するのは、
“真理と幻想は和解不可能”という
この点においてのみであって、
不成立、あり得ないことなのですよね。
“equal”、光の繋がりだけがあって
(言ってみれば「あいだ」なんてないのです)
満ちていることを受け取れるのが
ヴィジョンなのです。
わたしたちが真に対等であり
同じ聖なる神の子なのだということを
思い出せるよう助けてください。
誰の中にも同じ光を見ることによって、
ひとつの“いのち”を生きているという
真の喜びを分かち合えますように。
ということを受け入れます。
ありがとうございます。
Blessings,
愛
2022/9/17配信
©️2022 Sueyoshi Ai
+‥‥‥‥+‥‥‥‥+‥‥‥‥+‥‥‥‥+
*ヴェリテの学習会・セッション*
オンライン(Zoom)で開催しているものと、
大阪で開催しているクラスがあります。
+‥‥‥‥+‥‥‥‥+‥‥‥‥+‥‥‥‥+
- 投稿タグ
- 奇跡のコース, 奇跡講座, ア・コース・イン・ミラクルズ, ACIM, acourseinmiracles