奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています

 

Lesson9:わたしは、今のありのままの姿を見ていません。
 
 
ここ数日のレッスン内容(アイディア)が、何をしてても浮かんできて、何かそこに意味を貼り付けてしまっていたものがあれば、際立ってきて、
 
「そうだった、自分で勝手に意味を与えているのだった」、「そうだった、これは過去だった」、「そうそう、そもそも存在していないのだった」と我に返る(?)ことがたびたびありました。
 
 
今日のレッスン内容をやってみて気づいたことは、わたしは汚いものが苦手だということでした。汚れ、ゴミ、埃を見ながら、「わたしは、この埃をありのままに見ていない」と当てはめてみると、
 
「ああ、埃が…」と嫌がっている思いがあることにまず気づき、そのあとそれはただそこにある、見えているけれど何かわからないものとして感じられました。
 
 
枯れかけている、元気のない植物を見たときも、ざわっとしました。悲しい感じ、残念な感じ、あまり見たくはなかったなという気持ち。
 
新聞の一面、人が亡くなったこと(それも殺されたというニュース)についての見出しを見ただけで、一瞬動揺していることに気づかされました。
 
 
共通しているのは、「死」だと思いました。劣化したり朽ちたり、死んでしまうということに対して、心地よく感じていません。もっと言うなら、怖がっている、ということだと思います。
 
震えたり、心拍数が上がったり、涙が出たり…ということはありませんし、傍から見たらきっと、たいして何も感じていなさそうに見えるのでしょうけれども、このほんのちょっとの「揺れ」を、見逃さずにいるということを、大切にしています。
 
ほんの少しでも反応しているのなら、それは「動揺」であって、程度の差などというものはちっとも重要ではないのですから。これはレッスン6で学びました。
 
 
ありのままに見ることができないのは(ここでの「ありのまま」というのは、もちろん、世間でよく言われている意味とは異なっています)、どうしてだろう。どうしてありのままに見ることができないんだろう。そんなふうに、一面記事を見ながら思いました。
 
これが「リアル」だということが前提で見るなら、それが何であっても、わたしはそれをありのままに見ることはできません。これは、ここは、ちっともリアルではないのに、実在しているのだと主張したいのだろうか、わたしは。
 
そんなふうに、半ば自分にあきれつつ(けれども責めることはせず)、どのようなことも、誰のことも、ありのままに見たいとおもいました。心の眼で。しっかりと。
 
 
 
2018.5.9
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック1 わたしは何も知らない/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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