随分と涼しくなってきましたね。南向きの家に住んでいるのですが、北側のお部屋に入ると、涼しいというより少し冷えるなと感じられるほどです(南側はポカポカ、冷房はもう要らない、心地よい室温です)。

2023年、残り3か月を切りましたが、わたしの中では、より一層深まっていく感覚がするので、終わりに向かっている気持ちではなく、どちらかと言えば、「ここからが本番!」という気持ちです。実りの秋に贈り物を受け取ることになる……それは、確実なことです。
 

昨日のクラスにご参加くださった方が、「種は蒔かれた」という表現(素敵な表現ですね)を使ってシェアしてくださったとき、ふっと、水やりをするイメージが浮かんできました。種はもう蒔かれているので、わたしたちは、毎日心を込めて丁寧に水やりをする——。意欲をもつという、水やりです。

わずかな意欲をもてばいいんだよと、コースにおいてイエスは繰り返し言ってくれています。
如雨露を持って、少しずつ水をかけます。これを毎日続ける。「ええい、めんどくさい!」と言って、ホースでドバァ〜〜って、勢いよく雑に水を放つ日が月に1回あればいいというふうではなくて。

わずかな意欲を毎日抱き続けること——自我の考えに気づいたら、隠さずにホーリースピリットに差し出して取り消しをお願いすること(ゆるし)を日課とすること——は、強力な意欲につながります。真の意欲に。

 

 

2011年の1月〜春までのあたりの、どこかの日のことです。コースを学習する前です。その頃わたしは、通訳なしのDoreen Virtueのワークショプに参加することになったので、ハワイに行く前に英語の勉強をしておこうと、マンツーマンの英会話スクールに短期間ですが通っていました。オラクルカードリーディングを英語でやらせてほしいとお願いし、そこのスクールの何人もの先生にリーディングをさせてもらっていたのです(他の英語学習もしていましたが)。

フランス人の英語教師の方がいて、ある日、その先生にリーディングのために引いたカードがこのカードでした。patienceの単語の意味を、この絵がうまく表していると教えてくれたときのことをよく覚えています。

patienceは、こうやって水やりをして少しずつ植物が育っていくのを見守っている、そのような意味合いなのだと話してくれたこと、その内容が、わたしにとって“メッセージ”だと感じられたので、ずっと忘れずに記憶に残っていました。

 

種は蒔かれました。すでに蒔かれているのです。わたしたちは毎日、信頼し続けるという意味で、忍耐をもって、水やりをします。最初の頃は、芽が出てこないので、こんなこと(たとえばワークブックのレッスン!笑)を続けていて、本当に変わるんだろうか、奇跡が起こることが自然って、本当にそんなふうになるんだろうかと訝しむかもしれません。

でも、豊かな土壌において、土の中で、ちゃんと種から芽が出て、少しずつ伸びて、地面から顔を出すときが来ます。ひょっこり芽が出たら、「ああ、わたしはもうコースの言ってることがわかった!」と急がずに、あるいは、「なんだよ、まだこんな小さい芽じゃないか」と軽視せずに、むろん、引き続き、水やりをするのです。毎日。コツコツ。丁寧に。

近くのお仲間の土壌からいくつも芽が出て、すくすく育っているのを見て、「どうしてわたしのところは全然芽が出ないのよ、神様はえこひいきしている!」と憤慨する必要もありません。あるいは、「ちょっと、ここからはわたしの土地なんだから、入ってこないでくれる?」と、柵を用意して境界線を引く必要もありません。

この豊かな土壌は、ひと続きのものです。どこからが誰の土地か、などという考えは要らないのです。すべて、みんなの土地です。みんなで一緒に育てていきます。もし自分が水やりをサボっても、兄弟がやってくれます。兄弟がサボっているときは、自分がすればいいのです。
お仲間の意欲に、コース学習者、ティーチャーたちの意欲に助けられた経験が、誰にでもあるのではないでしょうか。そして、あなたの意欲もまた、みんなの助けになっています。わたしたちは世界中の兄弟姉妹、どこかの誰かの真の祈りに助けられています。自分がゆるしの祈りを捧げているとき、それは必ず、兄弟姉妹に分かち合われています。ひと続きの豊かな土壌で、みんなで一緒にアトーンメントの花を咲かせるのです。それが、神の救済計画の完了です。

 

本来、この聖なる水やりは、楽しいものです。やらされていると感じる人にとっては、苦しいのかもしれません。こんなことやって、何の意味があるんだろうかと疑う人にとっても、毎日やりたいことだとは感じられないかもしれません。でもやってみることです。続けてみることです。patienceです。

イエスはテキストにおいてこのように述べています。

3自分自身を見出すためにどこを見るかはあなた次第だということは、依然として真実である。4兄弟に対するあなたの忍耐は、あなた自身に対する忍耐である。5神の子供は、忍耐にふさわしくはないだろうか。6私はあなたに無限の忍耐を示した。なぜなら、私の意志は、私に無限の忍耐を教えた私たちの父の意志と同じだからである。7神の声は、あなたの中にあるように私の中にあって、創造主の御名により一なる子に対し忍耐するようにと語っていた。

T-5.VI.11:3-7/『奇跡講座 上巻』
中央アート出版社
 

ゆるしは、聖霊を通して兄弟の中に罪(欠乏、弱さ)ではなく光を見せてもらうことは、この美しいpatienceは、水やりの毎日は、幸せそのものです。“ゆるしは幸せへの鍵”だというのは、まさに本当のことなのです。

真の忍耐を。無限の忍耐を。
無限の忍耐という愛の中で、“世界はとうの昔に終わっている”という福音を、みなさんと一緒に真に深く受け入れられますように。

実り深き秋をご一緒に。
A shower of blessings,

2023.10.4配信
(繋がってくださっている方に毎月お送りしています)

 

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