先月の下旬からGWを過ぎて火曜まで、長期でお休みをいただいていたので、今月は今頃のおたよりとなってしまいました。

すでに今月のクラスがスタートしていて、さっそく連日、合宿のように密にご一緒していた方々もおられました。
お久しぶりの方々は、いかがお過ごしでしょうか。

昨年の秋あたりから、何と言えばいいのでしょう、「人生のちゃぶ台返し」みたいな流れを経験していました。「こういうものだよね」と信じていたものが、次から次へとひっくり返されてしまって、一時期はどうにかなりそうでした。笑

起きていること(出来事)としては、特にこれと言って何も起きていない(事故に遭うとか、「不運に見舞われる」などというようなことは1つもなかった)のですが、人間関係での学びが多くあり、価値観の崩壊としては何とも激しい道のりでした。

いつ頃だったか、確か昨年の秋だったと思うのですが、「目覚めることにしか関心がありません」と、ホーリースピリットに祈っていた時期がありました。それで、猛スピードで、「ちゃぶ台返し」が起こる、起こる。

 

このコースを学ぶには、あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である。2一つでも隠されて曖昧にしておかれるなら、それはあなたの学びを危うくするだろう。

T-24.in.2:1,2/『奇跡講座 上巻』
中央アート出版社
 
目覚めたいなら、価値観を一つでも隠しておくわけにはいきません。隠して曖昧にせずにいるためには、どうしたって投影してしまっている人間関係を通して、自分の内側を直視するよりほかありません。これが、ものすごく激しかったのです。
 
 
確かに、祈りました。ホーリースピリットに。一点の曇りもない鏡でありたいと。
だから、隅々、見るよりほかないのです。
 
綺麗に癒されようとしたって、そうはいかないのだと、今年の春にしみじみ思いました。本当に見ないといけない。見たつもりになっていると、「隠されて、曖昧にしておかれる」のです。
自我は内側を直視することを嫌がるので(癒されたくないので)、わかったつもりになるし、「はい、これも投影ですものね、罪悪感ですよね、神への攻撃ですよね、決断の主体が決断を変えることだけですよね」と、コースワードを並べて誤魔化す・・という「優等生モード」の防衛をやることもあるでしょう。
 
コースの学びに、コースを生きることに、優等生も劣等生もありませんが(自我だけがそういうふうに捉えるのですよね)、驚くほどの憎悪、信じられないほどの汚い考え、そうしたものまで直視することなく、悲痛な叫びを無視しておきながら、「わたしは神が創造されたままのわたしです」と、誰が本気で言うことができるのでしょう。
 
 
それで、どのようにしてそうした暗闇を直視できるようになるのかと言えば(ここに何の心配も要りませんが)、間違いなく暗闇を誰かに投影するので、相手に何を見ているのか、具体的に1つ1つ挙げていき、ホーリースピリットの導きを頼りに、隠し持っている価値観、信念が浮上してくるままに任せればいいのです。
 
ゆるしを選ぶときに、必ずとは言わないけれど、相手に自分の思いを開示する(エクスプレスする)場面へと運ばれることがあります。このときに、綺麗なやり取りにならないことだってあります(だいたい、「綺麗なやり取り」って何なのでしょうね 笑)。自我は破壊を好むけれど、いい人仮面を付けていたい願望もあるので、「荒立てないように」、「相手を傷つけないように」などと言って闇を隠すこともあります。
 
共に癒されたいという、聖なる目的を忘れずに、そして成り行きをホーリースピリットにお任せするなら、自分と相手にぴったりのエクスプレスになるのだと感じます。どんな言葉を選ぶかではないのです。どんな態度で、どんな表情で話せばいいのかなんて、考える必要のないことです。透明性が大事です。隠さない。誤魔化さない。相手のためにと言って防衛しない。
 
自我が悲鳴を上げそうですね。笑
それでいいのです。自我が嫌がることを選べばいいのです。「それはあまりにも恐ろしい」と感じる方は、無理なさらずに。もっと緩やかな道を用意してもらえます。
 
わたしは、コミットが深まってきているので、焦りはないですが、のんびりしていたい気持ちがありません。
 
 
レッスン185 私は神の平安を望む。
 
1.この言葉をただ口にしたところで何の意味もない。2しかし、それを本気で言うことはすべてに値する。3もしあなたが、ほんの一瞬でもそれを本気で言うことができるなら、もはやいつどこにいても、どんな形においても、あなたに哀しみはありえない。4天国は再び完全に自覚され、神についての記憶はあますところなく取り戻され、すべての被造物の復活が十全に認識されるだろう。

2.この言葉を本気で言って癒されない者はない。2彼が夢と戯れることはできず、自分自身を夢だと思うこともありえない。3自分で地獄を作り出し、それが実在すると思うこともありえない。4彼は神の平安を望み、それが与えられる。5それが彼の望むすべてであり、受け取るすべてだからである。6多くの者がこの言葉を口にした。7しかし、それを本気で言った者はほとんどいなかった。8こうした者たちがいかに少ないかを確かめたければ、あなたの周りに見える世界を眺めさえすればよい。9誰であれ二人の者が、この言葉は自分たちが望む唯一のものを表現しているということに合意するなら、世界は完全に変容するだろう。

『奇跡講座 下巻』
 
 
本気で言いたい。
本気で言いたいから、片っ端から直視していく。後ろは振り返らない。
リアルワールドの達成だけが、望むこと。
 
人生のすべてが、この体が、この個人の長所も短所も何もかもが、ただこのことのためだけに使われますように。
 
だから、わたしは綺麗に癒されようとしない。
ニンゲンやって、そうして“beyond the body”を経験することが、人間をやめるということ。
真の自己を受け入れるということ。

人間を避けても、この世界に目を瞑っても、闇に蓋をしても、真の自己を思い出すことはない。目覚めることはない。
 
“どうぞわたしをお使いください”
この祈りの意味が、グッと深まった新緑の季節、この先の風景も楽しみたいと思います。

 

Blessings,

2023.5.13配信
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