夏は夜の時間帯が好きで、涼しい風を受け、ちょっと湿った夜の空気を吸うと、なんだかワクワクしてきて、今から何か悪さをしたいと思っていた18,9の頃を、先日の夕暮れにふと思い出しました。ああ、この感じ、懐かしいなと。ちょっとした興奮と、解放感、ハメを外したい欲求。

乾いた喉をアルコールで潤して、世界をぜんぶ忘れたい。自分がいったい、どこに向かっているのか、何をしなくちゃいけないのか、どんなルールを守らなければいけないのか、そんなことはみんな忘れてしまいたい。過去のことも、未来のことも考えずに。何も思わずに。今楽しければそれでいい。

10代の終わりに望んでいたことは、そのようなことだったと思います。仲のいい友人と一緒にやってはいけないことをやって、楽しんで、笑って、眠ってしまえたらそれでいいという感じ。

今振り返ってみると、それは「自分が何だったか、忘れたままでいたい」という願望の表れで、の奥にある虚無感や欠乏感に向き合わずにいたいという、逃げの姿勢だったのだろうと思います。

 

翌朝、車を運転して帰っていたのですが、差し込んでくる眩しい朝日は、自分にはまるで似つかわしくないといつも感じていました。こんな自分に、清々しい朝の光はふさわしくない。ちっとも似合わない、と。

清らかで優しい朝の太陽の光を浴びると、奥へと押しやっていたはずの罪悪感が浮き上がってくる感じがして、不快だったのです。祝福の光、愛の光なんて、やめてほしい。わたしに向けてこないでほしい。こんなわたしなんだから。わたしには暗闇がぴったりなんだから。ほっといてよ。

汚れている自分には、愛より痛みがふさわしい。光より闇がふさわしい。そんなふうに思って、自分を恥じていたのです。

 

 

学校に就職して1年目のとき、教師になりたい、母校で働きたいという夢が叶って、毎日楽しく充実していたけれど、秋頃に「何か肝心なことを忘れている気がする」と思うようになりました。それはとても大切なことだと感じるのに、何なのかちっともわからない。いったい、何を忘れてしまっているんだろうと、自分なりに考えてみたもののわかりませんでした。

10代の終わりに自暴自棄になっていたときも、22歳で夢が実現して充実していたときも、肝心なことを忘れていたのです。

答えは見つかりませんでしたが、道は用意されていました。
ある女子生徒との出会いがきっかけで、民間の心理カウンセラー養成スクールに通うことになったのです。

 

26歳になって、プロの心理カウンセラーとして活動するようになったのですが、その頃、「なんだか本当の自分に戻っていっている気がする」と思うようになりました。「理想の自分になってきている」ではなく、「本当の自分に戻っていっている」と感じたのです。「戻っている」というのが、最もしっくりくる表現、感覚でした。

子供の頃から、「本当の自分って何なんだろう」と思っていました。自分にはいろんな側面がある(二面性がある)けれど、どの部分も本当の自分のようには思えない、本当の自分って何??どこ??と、疑問を抱いていたのです。

「戻っていっている」と感じたものの、正体はつかめませんでした。ただ、22歳のときに「何か肝心なことを忘れている気がする」と思ったその何かは、「」だったのだということには気がついていました。

 

 

最も重要なこと、「」を忘れていたのです。「心」を置き去りにしていた。「心」ここにあらずだった。
自分とは、この身体のことなどではなく、「心」そのものだという事実を、忘れていたのです。

本当の自分は心、しかも、清らかな心聖なる心、スピリット
それを忘れていられるなら、何だっていい。苦痛と快楽のドラマを選ぶのでも、努力と達成のドラマを選ぶのでもいい。どちらを選ぼうと、最も肝心なことを忘れていられます。

この世界の何かに一生懸命になっている、ハマっているうちは、ずっと忘れていられます。いろんなことを問題視しては奮闘して、躍起になって解決しようとする毎日は、我を忘れた状態です。

 

我に返りたい。本当の意味で。正気に戻りたい。目覚めたい。
それが、わたしたちの真の願いでした。ワンネスに戻りたい愛に還りたい

わたしたちにふさわしいのは、です。愛の光、優しさ、祝福、奇跡、幸せ——。
かつて自分にはふさわしくないと拒んだものは、すでにわたしの内に在るものでした。それを忘れていた。見失っていた。
知らないことにしておきたかったこと。けれども切に望んでいたもの——。

すでに与えられている愛という答えを受け取る瞬間において、いつも感じるのは、「何も必要ない」ということです。すべてが今、ここにあるというのに、いったい何を欲したりするだろうかと。

この完璧さに、いったい何を付け足したりする必要があるでしょうか。この完璧さの、いったいどこを変える必要があるというのでしょうか。何もありません。愛は完璧です。愛だけが完璧です。

 

18,9の頃の、荒んだわたしに何か言ってあげられるとしたら、「いいんだよ」と声をかけるかもしれません。

いいんだよ、自分を責めなくても。
いいんだよ、もう自分をゆるして。
いいんだよ、いま愛を受け入れて。

 

22歳の、日々努力していたわたしにも、「いいんだよ」と言うかもしれません。

いいんだよ、無理して頑張らなくても。
いいんだよ、承認されようとしなくて。
いいんだよ、いま愛を受け入れて。

 

これまで通ってきた道に、過去のすべてに「いいんだよ」と優しく言って、我を忘れてドラマを見ていた自分をハグしてあげたいものです。そこには善も悪もありませんでした。それは夢に過ぎなかったのです。

わたしたちは、我に返って、愛に還ります。
いま、あなたのみもとに参ります
そう云って——。

Blessings,

   
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8/8は「祈りの繋がり」の日です★
今回は問題解決に関するお祈り
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