#015

学びのわかち合いコーナー

 

今回は、自分という存在に関して、
自信を持つということについて
書いてみたいと思います。

なおご紹介くださる場合は、
このページのリンクをお知らせいただけましたらと存じます。
(本文のコピーはできません©️)

  

突然ですが・・みなさんは
自分に自信を持っておられますか?

はい!という方・・
それはどのような自信ですか^^?
どこから湧いてくるものでしょうか。

いいえ!という方・・
なぜ自分に自信がないのでしょう?
それはいつからですか?

 

わたしの場合・・
ずっと自分に自信がありませんでした。

自信がないどころか、
自分のことが大嫌いでした。
 
死んでしまえばいいのにと
思っていた時期もありました。
 

自分に自信がない、というのは
ある意味では未だにそうです。

信じてもらえないかもしれませんが。笑

これまでいろんなことをしてきて、
どちらかと言えば
行動的なほうかもしれませんが、

ずーーーっと、自信がないまま
やってきたのです、、、。

自信がなくても行動ってできますから。

 

むかし、セッションやコンサルで、
「自信がないからできないんです」と
おっしゃる方が多かったのですが、

そのたびに、
不思議なことをおっしゃるなあと
思っていました。

自信がなくても
やればいいだけなのでは?と
思っていたのです。

自分に自信があるかどうかって
行動と何の関係があるんだろう?と
本気で不思議に思っていました。笑

怖くても、自信がなくても、
やればいいじゃん! だったのです。

実際、わたしはずっとそうしてきました。

内心、縮み上がっているし、
心臓バクバク!だし、
吐きそうで死にそう!っていうときも
あったのですが、

「だからできない」は嘘だよね、
できるかできないかじゃなくて
やるかやらないかだよね、

自信がない、怖い、

「だからやる」
「それでもやる」

としか、考えていませんでした。笑

 

今になって思います。
2つのことが言えると思います。

1つめ・・
「できるかどうかじゃない」のは
確かにそうだけど、

「やるかどうか」も、
さてどうだか、疑わしい。

「やるかどうか」が
何を指しているのかによっては、
まったく無意味だから。
 

「したいことを行動に移すかどうか」なら、
そんなことは重要な違いではないと言えます。

「ホーリースピリットを選ぶかどうか」
「ゆるしを選ぶかどうか」であれば、
確かに、ここには重要性があると言えます。

 

2つめ・・
どうしてわたしが自分に自信がないのに
ずっと活動し続けてこられたのかに関して。

正直に言って、わたしは目立ちたくないのです。
信じてもらえそうにありませんが。笑

できるだけひっそり、目立つことなく
隠れて生きていきたかった。
(田舎の国語の教師で
人生終わるつもりだったのです・・!)

だから、YouTubeなんて、もう、、ホントに
吐きそうなくらい、抵抗感がありましたし、
(今はもう、諦めているのです、、笑)

コースの教師、香咲弥須子さんの
関西セミナーのオーガナイザーをしていますが、
それも、もう、、ビビりまくりだったのです。笑

人前に立って喋るなんて死にそう・・!
わたしを見ないでほしいのに・・!と
思っていました。

信じてもらえないだろうなあ・・と思いますが、
本当のことなんです。

梅田の会場で、どんなに緊張していたか・・!

それなのに誰も気づいてくれないのです。笑
むしろ、逆のことを言ってくださる。。
 

わたしは、末吉愛という人間としては
まったく自信がなくて、
最近やっぱりこれが根深いなと気づいたのは
恥の概念です。

こんな存在、恥ずかしい。
そういう思いがどうも根強くあるようで、
この手放しをホーリースピリットに委ねています。

(ちなみにワプニックさんによれば、恥は罪悪感のもう一つの呼び名にすぎないとのこと)

 

こんなわたしなんかが・・と思うので、
ホーリースピリットに助けを求めることは
わたしにとって必須のことです。

吐きそう!無理!ホーリースピリット!
 

わたしが「末吉愛」に、個人に意識を向けて
あれこれ考えているときは、
自分のことしか考えていませんから、
緊張したり恐れたりするわけです。
 

ホーリースピリットに助けを求めると、
このわたし」ではなく
わたしたちみんな」にフォーカスされます。

わたしの本心に戻れます。
みんなと一緒に心の手を取り合って
愛を分かち合いたい、奇跡を受け取りたい

全員にとっての最善を願う心に戻れます。
わたしたちひとつの心が
真に癒しを受け入れることを思えます。

・・そうすると、人前でも喋れるのです。
(前日に何回も練習していますが、笑)

 

ホーリースピリットに自分を使ってもらうと
こんなわたしなんか」を超えます。

愛さんは何でもできますよねと
言われることがありますが、

ホーリースピリットに
助けてもらっているからです。

あらゆる人の中に、神の子の光を見せてもらい、
自分の体やら個性やらを道具にしてもらうことで
わたし(末吉愛)を超えます。

そうすると、もはや末吉愛って誰なの?と
最近感じるのです。笑

「わたし」がスイッチするような、
不思議な感覚です。

自分の体はバッグの1つのようなもので、
個性は単なるイメージに過ぎなくて、

わたしの内なる光、聖性が
はたらいてくれるので、
わたしは何もしなくていい状態

この聖性には、自信があります。
誰の中にもある光、
わたしたちひとつながりの、この光には。
これには、自信が、確信があります。

 

あなたは、一度たりとも自分のアイデンティティーや、それを全一性と平安の中に維持している延長を失ったことはないということに、自信をもちなさい。2奇跡とはこの自信の表現である。3それが反映しているのは、兄弟たちと自らを同一とするあなたの正しい自己認識と、あなたの自己認識は延長により維持されているとあなたが自覚しているということの両方である。

(T-7.IX.7:1-3/『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社)

 

わたし(わたしたち)は
神が創造されたままの神の子です。

このことにのみ、自信を持てる——。

確かなのは、この真実だから。

イメージに過ぎない個人というものには
確信が得られるはずがなく、
だから自信など持てるはずがないのです。

実在していないのだから。

 

あんた、恥ずかしいよ。
自我はわたしにまだ言うかもしれない。

こんな自分、恥ずかしい。
またどうでもいい考えが出てくるかもしれない。

でも、そんな声には、力がない。
どこにも、ない。

個人に自信がなくてもいい、
わたしたちは聖なる神の子だから。
このことにのみ、自信をもっていたい。

ありがとう、フレンズのみなさん。
ありがとう、ホーリースピリット。
ありがとう、Jesus。

神に心から感謝します・・。

Blessings,

2022/3/12配信
©️2022 Sueyoshi Ai

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