『奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson294:わたしの身体は、完全にニュートラルなものです。
  
神はこの世界をつくらなかったのだから、肉体というものは実在していない。
けれども、あるように見えてしまう、それを、エゴの道具にするのか、ホーリースピリットに託すのか。
ただそれだけなのだと感じます。
 
肉体は、良くも悪くもないのです。
 
 
心のみが創造できる。霊はすでに創造されたものであり、肉体は心のための学習手段にすぎないからである。学習手段は、それ自体が学ぶべきレッスンなのではない。それらの目的は単に、学びを促進することである。学習手段の誤用から起こり得る最悪のことは、学びの促進に失敗することだけである。それ自体には実際の学びに誤りを導入する力はない。
 
肉体は、それが正しく理解されるなら、諸刃の剣の適用によっても傷つかない贖罪の強さを共有する。これは、肉体が奇跡だからではなく、肉体は本来、誤った解釈に陥りやすくできてはいないからである。肉体は単に、この物理的世界におけるあなたの経験の一部であるにすぎない。その能力については過大評価され得るし、実際にしばしばそうされている。
 
しかし、この世界においてはその存在を否定することはほとんど不可能である。そうする者たちは、否定の中でもとりわけ無価値な形の否定に携わっていることになる。「無価値な」という言葉は、ここでは単に、心をもたないものを否定することによって心を保護する必要はないと示唆しているだけである。もし心のもつ力のこの残念な側面を否定するなら、心の力そのものをも否定していることになる。
 
(『奇跡講座 テキスト編』T-2.Ⅳ.3/中央アート出版社)
(長いので改行を入れています)
 
 
世界や肉体がもつ唯一の目的は、「世界や肉体は存在しない」ということを私たちに教えることです。けれども、この世界の中で肉体をもって存在していなければ、私たちはそれを学ぶことはできません。それゆえに、『奇跡講座』は、この世界での物理的な経験や肉体を否定すべきではないと、非常に明確に教えているのです(T-2.Ⅳ.3:8-11)。ただ私たちはそれらを違った見方で見なければならないとだけ述べています。

(『奇跡の原理―奇跡講座「50の奇跡の原理」解説―』ケネス・ワプニック/中央アート出版社)
(マーカー部分はわたしが引いた箇所です)
 
 
あるように見えている、「わたし=この身体」だと思い、「わたし=神の子」であることに背を向けている、その間違いを訂正するためだけに、肉体を使うこと。時間を使うこと。
 
それはもちろん、自分の判断でできることではなく、ホーリースピリットの助けによって、学べることなのでした。
 
ホーリースピリット、どうぞわたしの手となり足となり、目となって、愛と奇跡の道具としてお使いください。
ありがとうございます。
 
そのような心でいると、確かにホーリースピリットは、使ってくださいます。
今日もそれを感じることがありました。
 
ホーリースピリットにわたしを使っていただくことによって、「わたし=この身体」ではないということを経験できます。
 
これからもずっと、そのようであることを祈ります。選びます。心に決めます。
 
Blessings,
 
2019.2.18
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック11 蘇生する自己/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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