奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson184:わたしは、神の名を受け継いでいます。

 
昨日のレッスンと繋がっているレッスンでした。

昨日、「神の名」といっても、べつに、何か固有の名前があるわけではないし、具体的にこういうことだ、と説明できる領域を超えてしまっているように感じると書きましたが、

今日のレッスンの12段落目に、

神には名はありません。それでも、神の名はすべてのものはひとつであるという最後の教えとなり、この教えで、すべての学びは終わります。

と書かれてありました。

この世界では、固有の名前があって、分類したり区別したりするけれども、ワンネスに境界線はないのだから、そこに言葉を当てはめることはできるはずがありません。

真実は、この分離の世界とまるで異なっています。完全に逆です。

あなたは、象徴のみを見て、生きています。あなたは、目にするすべてのものに名前をつくり上げました。そのひとつひとつが分離した存在となり、それぞれの名前によって識別されています。

このようにして隔たりを見ている空間が、この分離の世界の知覚を成り立たせる手段となっている・・というのは、考えもしないことですが(あまりにも当然のように思えてきたからです)、からくりを知れば、もう肉眼で見えるものに反応しなくていいのだと気づけます。

まだ、ここでの象徴を使う必要があるけれども、それらに意味がないということを忘れず、また、自分で判断してうまく活用しようなどと考えることなく、ホーリースピリットにゆだねることがどれほど大切かということを、胸に刻んでいたいと思います。

この世界は実在していないけれども――たとえば今日は美容院に行ってカットしてもらい、髪を染めてもらいましたが、このようなことには何ひとつ意味はないけれども、そこに力を見たり、間違った知覚を確かなものにしようとしたりせず、ただホーリースピリットのまなざしで、やさしく日常のあらゆることを愛でてゆくことによって(祝福を受け取らせていただくという意味においてひとつの例外も設けないことによって)、一体性へと戻る準備が整っていくのだろうと感じます。

食事をするのもそう。その行為には何の意味もないけれども、食事という行為のもっと奥にあるもの、食事を介して、ただ神の愛を受け取り、誰かとわかち合うこと、ただ延長されてゆくがままにすること、その練習が大切なのだと思います。

今日の瞑想では、本当にただわかち合わせていただくだけなのだと感じました。
自分ひとりで戻るのではなく、兄弟姉妹と一緒に戻るのだから。

この世界のそこここに、神の愛があまねくゆきわたっているのを、みなと一緒に経験し、喜びあいたいです。

Blessings,
 
2018.10.31
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック7 永遠の生命/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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