奇跡のコース』ワークブック・レッスンの気づきを綴っています
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Lesson185:わたしは、神の平和を望みます。

 
まず、心にど~んと響いてきたのは、冒頭の言葉です。

これらの言葉を言うことには何の意味もありません。けれども、これらの言葉を心から思うことはすべてだと言えます。もしあなたがこれらの言葉をほんの一瞬でも本気で思うなら、どんなかたちであれ、どこであれ、いつであれ、悲しみをこれ以上味わうことはあり得ないでしょう。天国が完全に目覚めている心にすっかり返され、神の記憶は完全に元に戻され、すべての創造されたものの復活は完全に認められるでしょう。

本気で言うことができるかどうか。本気で思ったことがあるかどうか。
まずゆっくり自分に問いかけてみたいと感じました。

願ったことは、思ったことは何度となくあったけれども、本気だったかと聞かれれば、YESと胸を張って言えない、というのが正直なところです。

今日のレッスンを読んでいて、すこし驚いたのは、昨晩「ACIM学習シェアクラス」だったのですが、そこでわたしが話したことと、今日のレッスン内容が見事に一致していました。

また、シンクロ。笑
コースを学んでいると、それにしても、こういうことが頻繁に起こります。あまりにも多いので、いちいちびっくりすることがなくなってきましたが、それにしても、あまりにも内容が一致していたので、おもしろく感じました。

 

自我の心で読んでいると、ざわついてしまうであろう箇所は、たとえば5段落目の

神の平和を望むという意味は、すべての夢を放棄することです。

という一文だろうと思います。

ほんとうに、心から、本気で、神の平和だけを望むと言いたい。

以前は、それは、代わりに何かを失うことだと感じていました。おぼろげながら。
いろんな楽しみ、悦び、関係を、諦めて――というより犠牲にして――神のもとへ帰らなければならないのだと言われているように感じていた時期がありました。

でも、もう今では、そのような気持ちにはなれません。
ここが幻想だということを、強く感じるようになったからです。つまりはここの、無意味さを。

ところで、幻想なのだ、無意味なのだという事実に触れて生きてゆくことは、隠遁するということではありません。

平和だけを望むことを本気で思う心は、他の心とつながらなければなりません。平和は、そのようにして得られるものだからです。

他の心とつながって、この世界で、いやにリアルに思えるものたちのなかで、それでも幻想を実在のものとしようせず、肉眼ではなく心の眼でみてゆくこと、すべての判断をホーリースピリットにまかせること。

それは修行なのではなく、幸せな、心地よさを感じられるプロセスです。
少なくともわたしは、そのように感じています。

今日は、奇跡のコースをベースにしたヒーリングをさせていただいたのですが、他の心とつながって、神の子の完全無欠性を思いだすプロセスを経験させていただけることは、ほんとうに喜びです。

その方にもたらされたメッセージは、「あなたは共同創造者です。あなたを通して神の力をはたらかせてください」というものでした。美しい、神聖な瞬間。

この世界を、夢を、幻想を選びたいなどとは、やはりもう思えません。抗いたくなる自我の誘惑はまだあるでしょうけれども、それでも少しずつ、氷が溶けてゆくのを、はっきりと感じています。

 

Blessings,
 
2018.11.1
 
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ワークブックレッスン日本語版は、
『奇跡のコース』のワークを学ぶ
ガイドブック7 永遠の生命/
香咲弥須子/ナチュラルスピリットより
引用させていただきました。
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(ワークブックのレッスンでの気づきは、
4周目として取り組んでいるわたしの、
あくまでもごく個人的なものです)
 
 
 
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)には
テキスト編、ワークブック編、教師のマニュアル編があります。
日本語版は、中央アート出版、またはナチュラルスピリットから出ています。
 
ワークブックのレッスン内容の詳細については、ワークブック編をお読みください。
(こちらのブログでは詳細については記載しておりません)
 
 
 
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