新居に炬燵を迎え入れてからというもの、食事も事務仕事もうたた寝も、炬燵に入ったまましているので、そのうち「こたツムリ」になるのではないかと、おもしろく思っている、師走の初めです。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
 

<過去からの解放>というのが、ここ最近のテーマだったようで——夏に、「自分史をやめる」という、ジョン・マンディさんの著書にあった言葉をメッセージとして受け取っていましたが、それが体験として深まってきたのが、この秋のことでした。

「自分史をやめる」というのは、なんと美しいことでしょうか。
もし本当に、自分史をやめたい——個人としての過去のストーリー、展開されてきたドラマに(それがたとえ栄光のように見えるものであったとしても、何もかもすべてに)いっさい囚われることなく、そこに力を与えずに放棄したい——と望むとしたら、それはもちろん、すべての人々の過去にも(というよりそれに対する自分の知覚に)いっさい力を与えない、つまり、決して自我の価値判断の眼差しで見ることはしない、ということを心に決めたということでもあるのだから、これは本当に素晴らしいことです。
  

“過去”という分離の信念から、「自分が脅かされることがあり得る」という恐れの夢から、<全面的に解放される>というのがどういうことか、言語化を試みるなら、それはつまるところ、<“恒常的なヴィジョン”を受け入れる>ということだと言えるでしょう。

<“解放”された心>というのは、むろん、<“現在”にいる心>のことだからです。解放されずに囚われたままになっている心というのが、どういう心なのかを考えてみればわかります。

何に囚われたままなのか。
“過去”に囚われている。つまり、分離の信念に、自我の思考体系に、恐れに、分離を信じきっている心が抱く、ありとあらゆる価値判断、信念に。この世の法則に。
 

これらから、完全に、全面的に解放されるための道のり(“解決法”)について、わたしたちは<何も>考えなくていい、というのは、もうそれだけで救いだと言えそうなくらい、安堵することではないでしょうか。

まさか、「どうやったら、全面的に解放されるんだろう」などと、考えたりしないですよね?♡
すでに提示されているのだから。ワークブックという、<達成のための訓練ができるもの>が。
  

5.世界が従っている法則はどれも、あなたが愛の意味を把握する助けにはならない。2この世界が信じているものは、愛の意味を隠して暗い秘密としておくために作り出された。3世界が守っている原理のうちで、愛の本性とあなたの本性についての真理を冒涜していないものは一つもない

6.あなたの真の自己を見つけようとして、この世界の中を探すのはやめなさい。2愛は、闇と死の中には見つからない。3しかし真に見える目と、愛の声が聞こえる耳には、それはまったく明瞭である。4今日、私たちは、あなたが従わなくてはならないと思っている法則のすべてと、あなたの生き方を制限しているあらゆる限界と、人間の運命の一部だとあなたが思っているあらゆる変化から、あなたの心を自由にする練習をする。・・(略)

・・(中略)・・

8.今日は、一五分ずつ二回、今あなたが信じているあらゆる法則から脱出する。2あなたの心を開き、休息しなさい。3あなたを幽閉しているように見えるこの世界は、そこに愛着さえもたなければ誰でも脱出できる世界である。4この世界の貧弱な供え物と無意味な贈り物に価値を置くことをやめて、そのすべてを神の贈り物へと入れ替えなさい。

・・(中略)・・

10.今日、時間を超越したあなたの学びの前で、救済を待って過ごす未来の多大な歳月が消滅する。2過去と同じような未来を免がれられることに、感謝を捧げよう。3今日私たちは過去を後にし、もはや二度とそれを思い出すことはない。4そして、私たちはまなざしを上げて、これまでとは違った現在を見る。それは、あらゆる点で過去とは異なる未来をもたらしてくれる現在である。

W-pI.127.神の愛のほかに愛はない
『奇跡講座 下巻』/中央アート出版社
(emphasis mine)

 

ワークブックに練習方法が明確に示されているのだから、「どうやって?」など、いっさい考える必要はないのです。序文から丁寧に読み、レッスン1から365までを、たった一度でもいいから、“本気”でやってみることです。そうすれば、二度と、「どうやって(解放されるの/解決されるの)?」などという疑問が浮上することはありません。明瞭すぎて、疑問など出るはずがありません。それほどまでの“経験”をすることになるからです。

文字をなぞっているだけ、文章を目で追っているだけでは、やっていることになりません。たとえワークブックの本文を「精読」してみたところで、“これまでとは違った現在を見る”ことができるようにはなりません。理論に詳しくなったところで、“真の自己”が見つかることにはなりません。”経験”できません。

浅くて薄い5巡より、“本気”の1巡です。
“本気”の1巡によってはっきりとしてくるのは、”恒常的なヴィジョン”へのコミットメントだと言えるでしょうか。
言い換えればそれは——全面的に解放されることへの意欲の表明であり、贖罪(アトーメント)を受け入れるということに対する宣誓です。
 

3喜びは恒常的な心眼(ヴィジョン)によらずには知覚されない。4そして恒常的な心眼(ヴィジョン)は、恒常性を願う者たちのみに与えられる。

T-21.VII.13:3,4/『奇跡講座 上巻』

 

“恒常的なヴィジョン”への誓いは、<もうひとつの人生>、<新しい人生>へのコミットメントです。
まなざしを上げて、これまでとは違った現在を見る”ことを誓います。

誰の中にも無罪性を、キリストの光を見る人生こそ、<もうひとつの人生>であり、“あらゆる点で過去とは異なる未来をもたらしてくれる現在”(この世の法則を超えたところ、聖なる瞬間)にとどまり続ける、つまり“恒常的なヴィジョン”を経験している、<新しい人生>です。
 

2023年が終わろうとしています。
あなたは何を誓いますか?

“本気”をご一緒に——

Blessings,

 

2023.12.2配信
(繋がってくださっている方に毎月お送りしています)

 

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