奇跡のコース・シェアリングサポート Verite
奇跡のコースBlog ~ゆるしのまなざし~
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)
奇跡のコース/奇跡講座の
365のレッスンを終えたときも、テキストを読み終えたときも
同じことを感じたのですが、
それは「始まり」でした。
ここから始まっていくんだな、という感覚。
「ああ、終わった」ではなくて。
テキストを読みだした頃は(今でさえそうだと言える箇所もありますが)、
まったく意味が分からず、
かつて慣れ親しんだ現代文(主に評論です)のようには
少しも「読解」できないことを
どこかで興味深く思い、
ふと、「読書百遍意自ずから通ず」という言葉が思いだされたので、
何度でも読んでみようと決めたことを今でもよく憶えています。
そして、読めばよいということではなく、
心の経験を重ねてゆくことが大事なのだと感じます。
テキストのどこそこにはこう書いてある、ああ言っているだのと述べることよりも、
そのエッセンスを深く心で受け止めて、
実際に心のおこないを続けることを大切にする。
そのためには、きっと
抗っていたい気持ちをよく見てみることが重要で、
いいえ、わたしにはそんな気持ちはありません、と
隠してしまわず
(そうしていてもいいけれども、わたしたちは実はそれをよくわかっていますネ)
潔く認めることなしに
コースのエッセンスを本当に深く受け取ることは
できないのでは、とおもいます^^
これは落ち込むようなことではなくて、
コースの学習をサボっていても
どんなに真実に背を向けていたい気持ちが強くても、
少しも裁かれてなどいない(裁かれることはない)のですから、
その抵抗を、抗っていたいジブンを、
ゆるしのまなざしで見ていきたいですね^^
完璧に読解しよう、
完璧にレッスンをやろうとするとしたら・・・
(それは以前のわたしの思ったことでしたが)
それは何のために「完璧」でいようとしているのかを
すこし考えてみてもいいかもしれません。
怖さから?
後ろめたさから?
焦燥感から?
競争心から?
――罪悪感から?
受験勉強においては熱心さと
ときに競争心と、焦燥感。
そんな思いたちが
クリーンな(?!)目標に付随していたかもしれません。
ある意味で、それらの思いがあることで
自分を奮い立たせ、机に向かわせ、
憶えたところで何の役にも立たない(と思える)ことを暗記し、
合格ラインに届くレベルになれる…のかもしれません。
でも・・・
ほんとうの学びにおいては
そのような騒がしい思いたちを背負ってやらなければ
到達できないなどということはなく、
だいいち、合格ラインだなんてないのだから、笑
安心していてよいのですよね^^
合否を発表されるのではないのだから。
認めてもらうために、学ぶのではないし
勝つために、何かをゲットするために学ぶのではないのだから。
ただ、思いだすために――。
忘れたことにしていることを。
ほんとうの自己を。
ほんとうのアイデンティティを。
そのために今日もテキストを読み、
レッスンをおこないたいとおもいます。
ゆるしのまなざしで
すべてを――文字通り「すべて」を見ていたいです。
ありがとうございます
Blessings,
愛