今月のテキストクラスも深く、濃い時間となりました。
毎回ではないですが、時折Instagramで写真をUPしています◎
何も知らない、何も理解してなどいないということを受け入れることは、ほんとうに大切なことだなと感じます。
判断することができない、判断することはわたしの機能ではなくホーリースピリットの機能であるということ、自我(エゴ)の判断はすべて間違っているということについては、テキスト、ワークブック、マニュアル、3つすべてで述べられています。
あなたが外側に見るものはどれもみな、あなたが内側に見たものについての判断である。それがあなたによる判断であるなら、間違ったものとなる。判断はあなたの機能ではないからである。それが聖霊による判断であるなら、正しいものとなる。判断はまさに聖霊の機能だからである。一切の判断を手もとに取っておかずに、聖霊が判断する通りに判断することによってのみ、あなたは聖霊の機能を共有する。あなたは自分自身に逆らう判断をするが、聖霊はあなたのための判断をする。
(『奇跡講座 テキスト編』T-12.Ⅶ.12/中央アート出版社)
なにひとつ、自分で判断するということがないように、すべてホーリースピリットのまなざしで見ることができるように、祈りのなかで過ごしたいと感じます。
あなたは自分が知覚するどんなものについても、その意味を知らない。あなたの抱く考えの中で、一つとして完全に真実なものはない。このことを認識することが、あなたの堅実な第一歩である。…(中略)…知覚は学ばれるものであり、あなたには教師がいないわけではない。だが、その教師から学ぼうとする意欲は、自分自身で学んだことのすべてを疑問視するのを厭わないという気持ちに依拠している。なぜなら、誤って学んだあなたは、自分自身の教師となるべきではないからである。
(『奇跡講座 テキスト編』T-11.Ⅷ.3/中央アート出版社)
自分が何も知らないということを常に覚えており、一切を学ぼうとする意欲をもつようになった者は、それを学ぶだろう。しかし、自分自身に頼るとき、彼らは学ばないだろう。自分がすでに知っていると考えることにより、彼らは学ぶための動機を破壊している。
(『奇跡講座 テキスト編』T-14.Ⅺ.12/中央アート出版社)
エゴを教師とするのではなく、ホーリースピリットを教師として、一切を学ぼうとする意欲をもち――それはつらい修行のようなものではなく、むしろ、やさしく、あたたかく、愛と奇跡に満ちた道のりだと感じています――、一瞬一瞬を、毎日を丁寧に生きることは、ほんとうに喜びあふれることだとおもいます。
苦しむのは、エゴだけであって。自分がそれを経験したくて選んでいるだけであって。
「わたしはわかっている」などと思うからであって。
わたしは何も知らない、何もわからない、ということを受け入れるなら(反発したくなるのは、まさにエゴの思い!笑)、ほんとうにリラックスしていられるし、感謝の思いとともにすべてを受け入れられる――そこに何の無理もなければ犠牲などというものは微塵もないということがわかる――し、愛されているという真実に触れることができる。
健全なエゴなどというものはないのだから、妥協することなく、学ぼうとする意欲を持ち続け、進んでいこうとおもいます。
Blessings,
愛
zoom無料クラス
大阪クラス
上記ボタンからうまくいかない場合は、
@ezz6271m で検索してください。