昨日はACIMテキスト読書クラスでした。最初にここ最近のことをみなさんシェアしてくださったのですが、みなさん日常のことを丁寧に見ておられ、その学びのあり方(ゆるしの姿勢)に感動しました。
それぞれのシェアを、「ホーリースピリットとともに聴く」ことにしたわたしたちは、誰のどのドラマのストーリーも、ドラマを超えたものとして受け取ることができたようにおもいます。
一緒に読んだ箇所は第1章Ⅲ節の第6~9段落でしたが、先にシェアしてくださったお話とも関連していて、6段落目の黄金律のところで「正しい知覚」についての話になり、自分自身を、そしてすべての人をどのように見るかについて深めていきました。
このとき、ふとテキストの別の箇所が思いだされたので、みなさんと一緒にその箇所も読みました。
相手をどのように見るかは、自分をどのように見るかと同じこと。どう扱うか、どう考えるかについてもそうです*1。
誰との出会いも神聖な出会い。
見知らぬ人としてしまうことなく、心のうちに迎え入れ、ひとつとなる――。まさに昨日のテキストクラスは、そのような場となっていたようにおもいます。うるうると…涙をにじませていた方もおられました。
あまり人には話せないような、けして「楽しい」とは言えないような個人的な体験談を、「奇跡の道具」として捧げるなら、みなの「ゆるしのまなざし」で丁寧に見ていくなら、それはわたしたちを――その場にいないドラマの登場人物たちも含めて――そこで「ひとつ」にする、「同じ」であることを思いださせてくれる、そのあたたかさを、こんなふうに感じられることは、ほんとうに喜ばしいことです。
これからもみなさんと一緒に、丁寧に・・・「ゆるし」(訂正)を続けていきたいとおもいます。
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テキストをお持ちの方へ
*1…テキスト8.Ⅲ.4
(正確な文章/翻訳については、日本語版にて詳細をご確認ください)