人生うまくいってほしい、幸せになりたいと思うのに、うまくいかないし、精神的にも穏やかでいられないと感じたことはありますか?今、まさにそう感じている、という方がいらっしゃるかもしれません。
何をやってもスムーズに進まないし、モヤモヤしたり、苛立ちを感じたり、満たされないなと思ってしまうとしたら、それは、要求してばかり、不満を抱いてばかりで、聴く耳をもたずにいるからだと言えそうです。
あーなってほしい、こーなってほしい。
なのに、どうして叶わないの。
どうしていつもこうなの、
どうしてあなたってそうなの。
わたしばっかり損してる。
みんなわかってくれない。どうしてなの。
もっと〜〜してよ。いい加減、〜〜してよ。
要求するか、文句を言うか。
明らかなことですが、それで幸せでいられるということはありません。
わたしってね、こうなのよ。
わたしってね、結構頑張ってきたのよ。
わたし、そのくらいのことは
知ってるわよ。わかってるわよ。
要求することや不満を漏らすことだけでは気が済まずに、たとえばこのようにプライドを宝物にして、学ぶ機会を、愛を、遮断してしまうことも——。
けれども、今まで通りの思考やあり方で、違う何かを経験できると信じるというのは、奇妙なことではないでしょうか。
すべて、自分の心が原因なのですから、誰のせいにもできません。自分の心を変えない限り、何も変わりません。
A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)という本の、ワークブック(365のレッスンがあります)に、このような素晴らしいレッスンがあります。
レッスン77:私には奇跡を受け取る資格がある。
レッスン78:奇跡がすべての不満と入れ替わりますように。
(『奇跡講座 ワークブック 編』/中央アート出版社より)
レッスン78の冒頭に、「自分が下す決断はすべて、不満と奇跡のどちらかを選ぶ決断」だと書かれています。不満を抱えているなら、要求してばかりいるなら、奇跡を受け取れないのです。
ACIM(コース)を学ぶようになってから、わたしの人生はすっかり変わり、毎日感謝できるようになりました。まさかこんなにもすんなりと奇跡を経験できるなど想像していなかった、こんな流れになってゆくなんてと、言葉にできない喜びを感じています。
なんだかうまくいかないな、どうしてこんなに重苦しいのかなと思ってしまうときは、外側ばかり見ていて、だから、要求ばかりするし(それがあからさまなものでなくても、どんなに小さな要求——「もうちょっと〜〜してくれたらいいのに」と密かに思うこと——であったとしても、要求は要求です)、不満を抱いてばかりだし、ときに面と向かって文句を言ったりもする。愚痴をこぼす。
自分の過去を振り返ってみて思うことですが、そういったときというのは、まったく聴く耳を持っていません。自己中心的です。
そんな状態でありながら、月を見上げて祈ったり(それもまた「要求」! 笑)、何かしらの「おまじない」をしたって、幸せにはなれません。「まだ足りない」という欠乏感と、「いつか失うかも」という恐れが消えることはないからです。
自分の思い通りにしたくてしょうがないときというのは、恐れに満ちているときです。
すでに愛のメッセージは届いているのに、奇跡は待ってくれているというのに、恐れでいっぱいになり、自己中心的になっているのでわかりません。
たとえそんなときであっても、聴く耳を持つなら、変われます。内なる教師の声に耳を傾ける。関わり合う人たちのスピリットの声に耳を傾ける。「わたしは、わたしは」とやかましくせずに、静かにすることです。
自我(エゴ)は、静かにしていられません。いつも、やかましい。口うるさい。細かい。過敏。しつこい。
まったくゆとりがないのです。静かに聴くなんてしたくない。主張したいだけです。
「どうぞ教えてください」、「どうぞ聴かせてください」。
まずは、内なる教師に教えてもらいたい、その声を聴きたいと思う心になることが大切です。
コースでは、内なる教師のことを「聖霊(ホーリースピリット)」と言います。ホーリースピリットは、自分の思い通りになるために働く召使いなどではなく、わたしたちの期待を、想像できる範囲をはるかに超えた、形容しがたいほどの愛の贈り物を、奇跡を、もたらしてくれます。
不満を選ぶより、奇跡を選びたい。「みじめなわたし」ではなく、「愛に値するわたしたち」を生きたいものです。
「愛そのものであるわたしたち」を、思い出したい。それが、わたしたちの本当の願いです。「わたし個人の充足感」などではなく。
ホーリースピリットの声に耳を傾ける(文字通りの意味とは限りません)だけでなく、わたしの経験から感じる、とても重要なことは、関わり合う人々に対しても、「どうぞ教えてください」という心で耳を澄ますこと、静かにしていることです。
人々のスピリットの声に耳を傾けようという気持ちなしに、自分だけラッキーだったらそれでいいという心で「ホーリースピリット、どうかわたしが〇〇になれる方法を教えてください」、「ホーリースピリット、どうしたらこの問題が解決しますか」と尋ねても、奇跡を受け取ることはできないだろうと思います。
奇跡というのは、個人宛の贈り物などではなく、「わたしたち」にもたらされるものだからです。
要求している相手、不満を抱いている相手の、もっともっと奥の、美しい輝きに触れたいと、思い直すことができたなら、「愛に値するわたしたち」だということを、一緒に経験したいと願うなら、奇跡はすぐに、受け取れます。
レッスン77:私には奇跡を受け取る資格がある。
レッスン78:奇跡がすべての不満と入れ替わりますように。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
Blessings,
愛
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