#054
今回は、正直であることに関して
コースではどのように述べられているか、
みなさんと確認してみたいと思います。
なおご紹介くださる場合は、このページのリンクを
お知らせいただけましたらと存じます。
(本文のコピーはできません)
*
正直であることは、とても大切なことですよね。
けれども、「正直さ」・「正直であること」が
どういうことかを勘違いしていると、
真に学ぶことを遅らせてしまうので要注意です。
辞書では・・
_____________________
うそやごまかしのないこと。
うらおもてのないこと。また、そのさま。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(大辞林4.0より)
と記されていますが、
コースではどういった意味合いで“正直”という
言葉を使っているのでしょうか。
相手に対して思っていることを
ズバズバ言う、という意味で
使われてはいないことは明らかです。
このことは既にご存知の方も多いと思いますが、
(ACIMのどこにもそうした記載がないですから)
最近コースを学び始めた方もおられるので、
わかりやすい箇所から見ていきましょう◎
まずは、ワークブックからの引用です。
5.繰り返すが、全部を対象にしようとはしない一方で、特定の何かを除外することも避けなければならない。2この区別をするにあたり、自分に正直でありなさい。3あなたはそれを曖昧にしたくなることがあるかもしれない。
W-pI.9:5/『奇跡講座 下巻』/中央アート出版社
emphasis mine
この文脈での「正直である」というのは、
概念を当てはめるという練習において
どうしても特定のものを
除外したくなる気持ちがあるということ、
区別を曖昧にしたくなるということを
ごまかさずに認める、という意味で
使われていることがわかります。
(※何でもそうですが、コースも文脈がとても大切です。文脈を捉えられないと真に読むことができません)
こちらもワークブックから。
9.今日の長いほうの練習では、このことについて考えてみる。2また、あなたの心の中で自分の機能に関する幻想が多くの形をとってきたことや、あなたが救済を見つけ出すために、自我に導かれて多くの方法を試みてきたことについても考えてみなさい。3あなたは救済を見つけただろうか。4あなたは幸せになっただろうか。5それらの方法はあなたに平安をもたらしただろうか。6今日は、多大な正直さが必要である。7その時の結果を正直に思い出しなさい。また、自我が提案したことから幸福を得られると思ったのは分別あることだったかどうか、よく考えてみなさい。
W-pI.66:9/『奇跡講座 下巻』
emphasis mine
「多大な正直さが必要」と述べられていますね。
ここでの「正直さ」というのは、
自我を選んだ心の状態 (=分離を信じ、
自分を個別なものだと信じ、
肉体と同一視した状態)のままで、
幸せになるために多くの方法を試してみて、
それで本当に救済を見つけたのか、
本当に幸せになったと言えるのか、
平安でいられるようになったのか、
いっさい、ごまかすことなく
真っ直ぐ心を見る意欲を持つことについて
述べられています。
この2つはわかりやすいですね^^
どちらにも言えることは、
自分の心のありように対して
正直であるということであり、
誰かに対してどうのこうのという
意味ではありません。
ここでは、
自我を選んでいることを認める
ということに関して「正直」という
単語を使っているわけですね◎
では今度はテキストから引用してみます。
4神ならば考えはしなかったことであなたが考えたことは何か、そして、神があなたに考えさせようとすることであなたが考えなかったことは何かを、正直に考えてみなさい。5そのようにして、あなたが行ったことや、行わないままにしたことを誠実に調べてみなさい。そして、神の心と共に考えるために、あなたの心を変えなさい。
T-4.IV.2/『奇跡講座 上巻』
emphasis mine
これも同じです。
“正直”の意味を受け取る手掛かりとなるのは、
この引用の最後の、
“神の心と共に考えるために、あなたの心を変えなさい”
という箇所です。
神の心と共に考えることが
できるようになるには、
言い換えれば・・
”真の想念”(神とひとつの愛の想念)が
どこまでも延長されてゆくようになるには、
自分の心を変える必要があります。
自分の心を変えるというのは、
YouTube動画でもお話していますが
教師を変えるという意味です。
コースの意味での“決断を変える”
というのと同じことです。
気分を変えるという意味ではありません。
自分の心を変えることが
できるようになるには、
今、自分がどちらの教師を
選んでいるのか、
自我か聖霊か
どちらを“決断”しているのか
認識していなけければなりません。
そういう意味で、
“神ならば考えはしなかったことであなたが考えたことは何か、そして、神があなたに考えさせようとすることであなたが考えなかったことは何かを、正直に考えてみなさい”
と言っているのです。
神が考えなかったことは「分離」です。
この世界にいると信じてきたわたしたちが
考えたことが「分離」です。
分離を思ったということは、
個別性、特別性、特別な憎悪の関係と
特別な愛の関係、攻撃と防衛、
罪の信念、病、死、この世の法則……
こうしたもの全てを「考えた」のです。
神はこの全てを、神を代弁する声である
聖霊を通して、一掃(訂正)しました。
でもわたしたちは、
この贖罪という完全な取り消しを
考えなかった、受け入れなかったのです。
夢の終わりを受け入れていない、
赦しのみだということを受け入れていない、
ということについて、
“正直”にならなくてはなりません。
つまり、ここも同じく・・
神ではなく自我を選んでいることを
幸せではなく不幸を選んでいることを
ごまかさずに認識するという意味合いで
使われているのがわかりますね。
次のこの箇所はどうでしょうか。
“正直さ”という言葉が
より深い意味で使われています。
4神の思考体系の中心に近づけば近づくほど、光は澄明さを増していく。5自我の思考体系の土台に近づけば近づくほど、道は暗く、不明瞭となる。6だが、あなたの心の中の小さな閃光でさえ、道を明るくするに充分である。7恐れることなく、この光を携えていきなさい。そして勇気を出して、自我の思考体系の土台の上にその光をかざしなさい。8完全な正直さをもってそれを判断する意欲をもちなさい。9その基をなす恐怖の闇の隅石を顕にし、それを取り出して光の中にもっていきなさい。10あなたはそこで、それが無意味性を土台にしていたということを、理解するだろう。
T-11.in.3/『奇跡講座 上巻』
emphasis mine
今回引用した3つの“正直”と
同じような意味が含まれていますが、
ここはさらに深い意味を持たせて
表現されていますね。
何がどう深いのかについては
次回詳しく書いてみたいと思います◎
Blessings,
愛
2024.2.24配信
お気軽に繋がってください♡
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