A Course in Miracles (ア・コース・イン・ミラクルズ)は、一冊の本のタイトルです(日本語版は分冊されています)。ACIM、あるいはコースと呼ばれています。
コースは、真の自己を思い出せるよう、わたしたちの心を導くものです。
これが自分と思って見ている自分は偽りの自己イメージであり、わたしたちは、肉体、人間ではなくて、それを超えた霊的存在であるということ、また、完全に清らかなスピリットそのもの(真に無垢な存在)であるということを思い出すためのカリキュラムです。
テキストの序文に、
6このコースは愛の意味を教えることを目指してはいない。それは教えることのできる範囲を超えているからである。7しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることは、たしかに目指している。
このように書かれているところがあります(T-in.1:6,7/『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社)。
わたしたちは完全なる愛と永遠にひとつのスピリットですが、それを忘れて(否定して)います。そのため、全き愛が在る(それだけが真に実在するものである)ということがわかりません。罪悪や病、苦痛があると信じており、恐れを抱えています。
そのような状態なので、“愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ること”(コースではこれを「ゆるし」と呼びます)が肝要なのです。ACIMは、心を訓練するコース(ゆるしを実践することで全き平安を思い出すためのコース)として、霊的存在からもたらされた懇切丁寧なカリキュラムです。
ACIMは世界的に知られており、多くの有名なスピリチュアルリーダーたちが学んできたと言われています。日本においても徐々に知られるようになり、学習者が増えていますが、コースでは「神」、「神の子」、「聖霊」、「贖罪」といった言葉が使われているため、キリスト教の教えと勘違いされることがあるようです。
実際にはどのようなものなのかについて整理して記しておきます(なお、当サイトのすべての文章は、コピーすることができません)。
▶︎1. 霊性の道の1つ
この世界には、数多くの霊性の道があります。地上にいる誰もが、心の深いところでは、真理を求めているからです。
真理はひとつのものなので、どのような形を取っているとしても、その霊性の道のゴールはみな同じです。どこに辿り着くことになるのか言葉にしたとき、その表現は教えによって異なりますが、実のところ同じであり、ア・コース・イン・ミラクルズにおいて言えば、それは「神」です(人格神のことではありません、「完全なる愛」と言い換えることができます)。
完全なる愛、ワンネス、天国に、神のもとに還る(真実を思い出す)という霊性の道は、普遍なるコース(universal course)であり、A Course in Miraclesは、同じところに行き着くけれども、形態としては数多くあるカリキュラムの1つという意味で、“The”ではなく、“A” コースインミラクルズとなっています。
ですから、どの教えのほうが優れているか、ということはなく、目覚めることができるように、真実を思い出すことができるように、誰もが内なるガイドに導かれ運ばれることになり、その人に適切なものに出逢うようになっています。
ACIMに心惹かれた方は、ア・コース・イン・ミラクルズを通して真の自己を思い出せるように、目覚められるように運ばれるのでしょう。
あらゆる霊性の道の、最終ゴールは神、完全なる愛ですが、ACIMは、この世界(昨今、ホログラム理論においても、この世界は存在していないという説があるようですが)、幻想の、夢の世界において、恐れの思考を映し出しては問題を次々と生じさせるということをせずに、自分の心の奥底に押しやってきた、自分を攻撃する思いを、内なるガイド(Holy Spirit)によって取り消してもらい、愛の想念、平和の想念が映し出された優しい世界、ゆるされた世界を見られるようになることを目指しています。
コース(ACIM)では、これを「幸せな夢」、「実相世界(real world)」と呼んでいます。コースの学びのゴールは、幸せと平安であり、それは、自分の心に一点の曇りもない状態、真にゆるされている(永遠に愛されたままの無垢なスピリットである)ということを受け入れており、その静けさと清らかさを、光を、誰の中にも見ている心の状態を指します。
▶︎2. どのようにして生まれたのか
“A Course in Miracles”(ア・コース・イン・ミラクルズ)は、コロンビア大学大学院臨床心理学の教授であった、ヘレン・シャックマン博士とウィリアム・セットフォード博士によってもたらされました。
実はこの二人は衝突することが度々ありました。正反対の性格であったり、また、大学や医療センターでありがちな、競争意識を抱いたり、批判したり、陰口を言ったりするという環境にいたということもあって、お互いの間には張り詰めたものがあったようです。
あるとき、ウィリアム・セットフォード(通称ビル)は、こうした競争意識を持ち続けることや、相手を批判することをやめずにいるよりも、愛情深くなって、互いを受け入れることが大事だと感じ、ヘレンに対して「もっとよいやり方があるはず」と言いました。
これまでは喧嘩ばかりしていたけれども、このときはヘレンは否定せずに、ビルのこの思いに対してすぐに賛成しました。別のやり方を見つけることに同意したのです。
これは1965年の春のことでしたが、このときのやり取りは、ACIMが生まれることになった重大な瞬間だったと言われています。分離を選ばず心の手を取り合うという、“聖なる瞬間”となったのです。それはお互いの、わずかな意欲によって生じた瞬間でした。
▶︎3. 書き取りの背景
1965年10月21日のことです。ヘレンは56歳でした。ヘレンは「これは奇跡についてのコースです。ノートを取りなさい」という声を聞きました。
初めの頃は、ヘレンは無視していたのですが、「声」は何度も呼びかけました。不安になった彼女は、ビルに電話をしたそうです。少しの間考えてから、ビルは、ノートを取ってみるよう促しました。
書き取りは、こうして始まったのです。
これを契機に7年にわたってその「声」の語る内容について書き取られました。ちなみにこの声の主はJesusですが、その「声」というのは彼女の内なる声(真の自己からの声)でもあり、口述筆記のような形で、ヘレンが書き留めては翌日それを読み上げ、ビルがタイプする、という方法をとっていました。
順に「テキスト」、「ワークブック」、「マニュアル」の3部が記されていきました。これらが完成した後に、「精神療法、その目的とプロセス、そして実践」、「用語の解説」、「祈りの歌」が、この順番で書き取られています。「用語の解説」は「マニュアル」に含めて収録されることになり、これらすべてが1冊にまとまっています(原文この1冊分すべてを日本語訳版で読めるのは中央アート出版社の『奇跡講座』上巻・下巻のみです)。
読んでみれば(その意味するところは、最初、難解だと思えたとしても)、これは人が考えて書いたようなものではなく、声の主の深い叡智と慈しみ、愛が伝わってくる、素晴らしいメッセージだと感じられることでしょう。
ちなみに、ヘレンは自分がACIMの筆記者であることを葬儀で明かさないでほしいと家族に言い残していたそうで、生前、一度も、自分がACIMの著者だと主張したことはありませんでした。彼女は自分の役割に謙虚であり続けたのです。
コースが出版されたのは1976年6月のことで、その後今日にわたり23か国語に翻訳され、200万部以上が販売されています。
▶︎4. なぜキリスト教用語が使われるのか
ACIMでは、キリスト教用語が使われており、聖書の引用も多くありますが、コースはキリスト教ではありません。
西洋社会においてはキリスト教が最も支配的な影響力を持っているということに、疑いの余地はありません。これまでのところ、これ以上に強力な思考体系は他に見あたりません。自分をキリスト教徒と考えるかどうかには関係なく、この世界で、特に西洋社会においては、キリスト教に深く影響されていない人は一人もいません。私たちがキリスト教と一体感をもっていようといまいと、私たちはキリスト教社会に住んでいます。私たちの暦さえもがイエスの誕生と死に基づいています。けれども、キリスト教はこれまであまりキリスト的ではありませんでした。このことも、教会の歴史を見れば、言うまでもなく明らかです。
キリスト教はこの世界に対してこのように強力な影響——それもあまりキリスト的とは言えない影響——を及ぼしてきましたし、現在も及ぼしているのですから、この世界の思考体系を抜本的に変えるためには、その前に、まず最初にキリスト教における誤りが取り消されることが必要でした。だからこそ、『奇跡講座』は、このように明確にキリスト教の形態をとってやってきたのだと、私は信じています。
『奇跡講座入門 講話とQ&A』
ケネス・ワプニック著/中央アート出版社
コースは、仏教の教えに似ていると言われています。また、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(「アドヴァイタ」は非二元性、ノンデュアリティを意味します)の、現代の第一人者であるラマナ・マハルシの教えと、コースの教えは非常によく似ているそうです。
仏教などアジアの宗教の教えと似通っているところがあるとは言え、コースは宗教ではありません。コースの教師であるジョン・マンディ氏は著書“Living A Course in Miracles”で次のように述べています。
コースは宗教ではありません。コースに基づいてつくられたような階級制度の組織は存在せず、その教えを熱心に勧め広めようとする活動もありません。それはひとえに、コースが世界に対して言葉を発することを目的としていないからです。
心の中に真の自己をとどめることを「本質化」、心にあるものを外に出すことを「具体化」といいますが、コースで重要なのは、心に向けて言葉を発することのみです。言葉が理解できたら、コースの教えがもたらす効果を実感できるでしょう。
コースの教えを生きることができたら、世界が絶妙に変化するさまを目にできるでしょう。変化は反発からもたらされるのではなく、明確になることから生ずるものです。
その点においても、自分ひとりですべてを習得できるコースは、すば抜けてすぐれたセルフ・ヘルプの本といえます。コースを生きるとき、私たちは人生で出会うすべての関係を癒すことができるのです。
(『奇跡のコース』を生きる 入門から実践まで/香咲弥須子監訳/ナチュラルスピリット)
▶︎5. どのようにして学ぶのか
ACIMのテキスト、ワークブック、マニュアルのどれから学ぶかは受講生に任されています(このことは「マニュアル」に明記されています)。まずはこの本を用意するところからですが、日本語訳版はいくつかあります。
本を通して学ぶという点において言えば、自主的にひとりで学習することができますが、難しいと感じてしまい、躓きがちなので、多くの人にとっては、関連書籍を読んだり、セミナーやクラスに参加するなどして、一歩ずつゆっくり進んでいくことが望ましいと言えるでしょう。なお、「コースは独習するもの」というふうに広まっているようですが、自学自習ということに関しては、こちらで述べています。
過去のメルマガで簡単にご説明しています。
ACIMはどんなふうに学んでいくの?
関連書籍のお勧めは、ケネス・ワプニック博士の本です。
「赦しのカリキュラム」
奇跡講座について最もよく聞かれる72の質問と答え
ケネス・ワプニック/グロリア・ワプニック
中央アート出版社
奇跡講座入門 講話とQ&A
ケネス・ワプニック
中央アート出版社
奇跡の原理 ― 奇跡講座「50の奇跡の原理」解説
ケネス・ワプニック
中央アート出版社
YouTubeチャンネルに、はじめてさん向けコーナーを設けております。よろしければ、こちらの動画を参考にしてみてください。
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(#01から順にアップしていきます)
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