A Course in Miraclesの学びを共に深め合うための場として、ヴェリテでは複数のクラスを設けています。
ご参加にあたって知っておいていただきたいことがありますので、ご一読くださいますよう、お願いいたします。
1. ファシリテーターとしての役割
すべてのクラス、分かち合いの場において大切にしていることは、<わたしたち(眠っている神の子)のゴールは全員同じである>ということであり、また、<本当のわたしたちは対等であり同じである(神が創造されたままの神の子である)>ということです。
わたしがファシリテーター(進行役)として何らかの例を挙げるとき、それは自我の思考体系としてありがちな考え、ごまかし、防衛のやり方などについて述べているのであって(暗闇を聖霊と共に直視して取り消してもらうため)、決して特定の個人のことを揶揄しているのではありません。
多くの場合、どなたがお聞きになっても、「これって自分のことだ」とお思いになることがあるでしょうけれども、それは、自我の思考体系における、思考ルート(思考パターン)が同じだからです。テキストを読んで、「これは自分のことだ」と思うのと同じことです。自我の防衛と攻撃のサイクル、欺瞞や隠蔽のやり方はみな同じです(状況や登場人物が異なるため、違って見えるだけです)。
お一人ずつお話していただく<シェアの時間>を設けていますが、みなさんがお話された最後に、わたしが受け取ったインスピレーションや、学びのエッセンスを分かち合わせていただいているときのお話もまた、“学びの普遍化”という観点からお伝えさせていただいています(つまり、わたし自身の学びとして受け取っていることをお話しています)。
どなたかの具体的な体験について触れてお話しているときもありますが、その人個人に対して、その人にだけ当てはまることをお答えするということは、ほとんどの場合、ありません。言葉の用い方として、ときにそのように聞こえることがあるケースもあると思いますが、<わたしたち(眠っている神の子)のゴールは全員同じである>というところから離れずに、分かち合わせていただいています。
ごく稀に、その方に今お伝えすること(何らかの特定のことについての答え)として、聖霊から受け取ったことがあれば、ご本人にお伝えしているときがあります(これは、たとえば書籍『天国から離れて』で見られるように、イエスがヘレンやビルに個人的に伝えているメッセージもある、というのと同じことだと感じています)。
ですから、<シェアの時間>でご自身がお話になったことについて、わたしが直接的に応答しているように思えず、「相手にしてもらえていない」とお感じになるとしたら、<シェアの時間>の目的は、お一人ずつに個別に「あなただけのメッセージ」というものをお伝えしていくことではない、ということをご理解いただきたいと思います。
もしそのクラスの参加者が10名おられるとして、わたしが具体例の引用として、たとえば3名の方の、お話された言葉やエピソードに触れることがあるとしても、触れなかった他の7名の方々のお話を聴いていないわけではないし、まして、無視しているわけでもありません。
常に大切にしているのは、<みんなに言えること>です。夢を見ているわたしたち(学んでいる決断の主体)が、自我を選ぶという決断を撤回して、聖霊を選ぶ(贖罪を受け入れる)ことができるように——ただ一つの問題に対してすでに用意されている、ただ一つの解決法を選び、ただ一つの答えを受け入れることができるように——その日その場のクラスでわたしたちが一緒に受け取ることになっている、“message”(全員に分かち合われるもの)を、ときに具体例を入れながら、お伝えさせていただいています。
ちなみにこれはヴェリテのすべての活動において言えることであり、clubhouseでのわたしの発言もまた、上記の目的を重んじたものとなっています(比較的くだけた言い方が多いと思いますが、それも自然な采配のように感じています)。
2. シェアの時間がある理由
多くのクラスにおいては、前半が<シェアの時間>となっています(すべてのクラスの終わりにも設けています)。
これは当然のことながら、強制しているものではなく、任意です。今日は話したくないとお感じになったら、そのようにお伝えください。それによって誰にも裁かれることはないということを経験なさってください。
シェアの時間において、何をお話していただいても構いませんが、人生相談会ではないということは予め認識していただきたいと思っています(上記項目で記している通り、個別メッセージというものはありません)。
みなさんがどのようなことをお話されているかと言うと、コースの学びを日常で当てはめていくなかで気づいたことや、受け取った奇跡の体験について、あるいは学んでいく中でわからないなと感じたことなどです。
現時点では苦しみの中にいる、という開示をしてくださる方もおられますし、コミットを力強く宣言してくださる方もおられます。すべて、等しく、大切な“贈り物”です。
必ず、「わたしはこんな奇跡を体験しました」というような報告をしなければならない、ということはありませんし、コース用語を多用したり、関連書籍などから引用したりして、良い学習者としての自分を見せようとする必要もありません。
この<シェアの時間>において、みんなで大切にしたいことは、<防衛せずに信頼する>練習であり、<ヴィジョンを受け取る(=聖霊の眼差しで兄弟を見る)>練習であり、<言葉そのもの/価値観ではなく心を聴く(聖霊と一致した心で兄弟の話に耳を傾ける)>練習です。
つまり、すべては“message”であり、“贈り物”であるということを、みんなで一緒に受け取り合うことが、この時間の目的です。
これにクラスのみなさんが取り組んでいるとき、本当に美しいhealingが起こります。シンクロニシティは“自然”なことであり、みんなで一緒に解放を経験します。
一方、これに消極的なクラスの場合、深い解放は起きません(もちろん“贈り物”は全員に与えられているのですが)。何を望んでいるのか、心が決めたその結果を受け取ることになります(どのくらい心が愛に開いているかに応じたものとなります)。
2想念は与えられることで増大する。3それらは信じる者が多ければ多いほど強化される。
T-5.I.2:2,3/『奇跡講座 上巻』
中央アート出版社
ですから、ぜひ、<シェアの時間>に他のことをせずに(話しているお仲間のことを見もせず、スマホをいじったりせずに 笑)、何のために“ここ”にいるのか、ということを、忘れない心でご参加ください。
自分の参加のありようが、自分の学びの深さを決めています。兄弟のシェアを「他人事」扱いしているうちは、ヴィジョンも聖なる瞬間も、贖罪の意味も、ずっとわからないままです。誰の中にも“キリストの顔”(=神の子の聖性、偉大なる光:“顔”というのは比喩です)を見ることをせずに、何をするのでしょう?笑
みんなで一緒に練習しましょう。コースは心を訓練するコースです。“訓練されていない心には、何も達成できない”とイエスが言っている通りです。
ですからヴェリテのクラスでは、ただ本文を読解して(頭を動かして学んだ気になって)終えるのではなく、真に学ぶ(=これまで学んだ自我の思考体系を白紙に戻す)ための場として、<シェアの時間>は必須であると受け取り、多くの時間をここに充てています。
自我が喜ぶ学習の場ではなく、リアルワールドの心に至るために、そうして本当の自己を思い出すために、ヴェリテでは、真に学ぶ場だけをご提供しています。
初めて参加される方は、どうぞリラックスして、伸びやかにお話ください(話したくないと感じたら、無理なさる必要はありません)。クラスでご一緒する方々はみなさん静かなお心で、そしてあたたかく迎え入れてくださる方々です。
学習歴(「学習」歴というより、コースに出合ってどのくらいか)が何年であっても、誰もがみな<同じ>です。コースの学びは、情報をゲットして蓄えていくようなものではなく、むしろこれまで抱えてきたものを鮮やかに取り消してもらうことで深まるものです。
初めて参加された方のお話が、参加者全員に“贈り物”をもたらしてくださるということも、もちろん起こります。ジャッジのないクラス、優劣のないクラスに、どうぞお気軽にいらしてください。
3. コミュニティとしての共通認識
🔵クラス内でのお仲間のシェアの内容(お名前や具体的な状況など)を無断で口外したり、SNS等に書いたりせず、誰もが安心して話せるようにします
共に真の学びを深めていきましょう。