世の中にたえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし

この世界のものには永続するものが1つもないので、外に幸せを、救いを、慰めを求めているうちは、ずっと心穏やかではいられません。

けれども、わたしたちの内なる真の教師、清らかなガイドであるホーリースピリットと共にこの世界のあらゆるものを見るならば、たとえば桜の花が随分と散ってしまっても、そこに寂しさや、欠乏を見ることはなく、美しさを、光だけを見ることができるので、平安でいられます。

何を見ていても、そこに、自分自身を見ています。自分自身だけを。
欠乏や不完全さが見えるとしたら、自分のことを欠けていて、足りない存在だ、不完全な存在だと見ているからです。

ほとんど花が散ってしまった桜に対しても、ウジウジ発言をする人に対しても、同じものを見ています。
それは、自分なのです。

どうしていつまでも変わらないのよ!
たとえば、ネガティブ発言ばかりしている人に苛立ってそう思うとしたら、そこに自分を見ているのですよね。
いつまで経っても変わらない(目覚めない)自分を。葛藤の苦しみを。
(そこに気づけたとき、拍子抜けする感じがしました 笑)

 

ホーリースピリットは誰を見ても、誰の話を聴いても、そこに不足や欠乏を、罪を見ることはないし、苦しみや痛み、怒りや嘆きをリアルだと信じたりしません。
ホーリースピリットと心が一致していると、相手を元気にさせようだとか、わたしが変えてあげます(わたしにはあなたをポジティブにする力があるのよ)などと思ったりしませんし、相手を改善しよう、明るくさせてあげようなどと、コントロールしようとはしません。善意を装ったりもしません。

それは、言わずもがな、自我(エゴ)のすることです。
相手を変える=自分の勝ち。相手を元気にさせる=自分の勝ち。自分(エゴ)には力があるのだと、証明したいだけです。
たとえ、「あなたのためを思って言ってるのよ」と相手に言い、自分は正しい!と信じているとしても。

親子、夫婦、上司と部下、講師と生徒、カウンセラーとクライアント。
いろんな形がありますが、どうにか相手を変えたい、良くしたいと思っているときにやっていることは、自分は正しい、自分のほうがわかっている、自分は相手を変える力があると証明したいだけ、つまり、相手を打ち負かしてやりたいだけだということです。

相手は間違っている、相手には足りないところがある。そうではなくて、わたしには相手の完璧さが見えていないということを認めたいものです。自分の欠落を見ていただけだと。
闘いを選ぶのではなく、ゆるしを、心の手を取り合うことを選びたいものです。選び直せば——自分でやろうとせずにホーリースピリットに助けを求めるなら、必ず、相手の内なる光を、清らかさを感じることができます。心の手を取り合って、確かに繋がっていましたね、確かにひとつでしたねと感じられる、愛の経験を受け取れます。

 

2月に引き続き、3月もわたしは、「ホーリースピリットと共に在る」こと、何をするとしても「ホーリースピリットと共にする」ことを練習してみました。それによって周りの方たちにも奇跡が起こる・・という幸せな経験をさせていただきました。

先月は、「ホーリースピリットを通して、すべての人の中に清らかさを、全き光を見る」という練習もしていましたが、そのおかげか、ある日、「ああ、闘いは終わったんだ」と実感できたときがありました。別な言い方をすると、「すでに分離の夢は終わっていて、完全に訂正がなされた」ということを頭ではなく心で受け入れられた、という意味です。

わたしは、わたしを疑うことができなくなりました。
自我(エゴ)には、何の力もありません。この世界には、何の力もありません。真に力をもっているのは、わたしたちの神聖性、清らかさ、内なる光です。

最近、とても心に響いた、ディヴィッド・ホフマイスターの『覚醒へのレッスン』の箇所、

あなたが悟れば、皆も悟ります。これが意味することがおわかりですか。いかに古いゲームの「わたしがそれを得れば、あなたはそれを失う」というのが、コースでは成り立たないことがわかりますか?

あなたが悟ると、あなたが知覚する全員が悟ります。ですから、あなたが経験した同じ悟りを皆と分かち合わなくてはなりません。例外があるでしょうか、ありません。

(『覚醒へのレッスン 『奇跡のコース』を通して目覚める』/デイヴィッド・ホフマイスター著/ナチュラルスピリット)

このことを忘れずにいたいと思っています。

 

この頃、今まで以上に感じることは、「すでに成就している」ということです。
zoomクラスや、大阪のクラスで、おひとりおひとりの内なる光を見させていただいているのですが、ほんとうに美しく、幸せな気持ちになります。真の自己は、ただの一度も変わったことがないという事実に、感謝するばかりです。

足りない人、ダメな人、変わればいい人、弱い人、どうしようもない人・・そのようなイリュージョンを実在のものにしようとして闘うのではなく、目を開いて、真に見たいものです。

愛は比較しません。愛は排除しません。愛には足りなさなど見えません。悪など見えません。
愛は愛ゆえに、ただ愛します。永遠に——。

その現れでいられますように。

Blessings,

 

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4/4は「祈りの繋がり」の日です★
今回は心の平和についての祈り
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