2月になりましたね、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

わたしは今年になってこれまで以上に、あらゆることを内なるガイドであるホーリースピリットにゆだねるようになりました。それは楽しい練習です。日中、平安が拡がっているのが感じられ、その心の平安を誰かが一緒に受け取ってくれる(分かち合われる)のを、確かにはっきりと目撃できるからです。

毎日の、何もかもを清らかなスピリット(ハイヤーセルフと呼ぶ方もおられますね)にゆだねるというのは、あまりにも依存的ではないの?と思うかもしれませんが、わたしたちは実は、よりどころなしでは生きていられない存在なのです。

 

自分で自分を創造できたと信じたい自我(エゴ)は、「なんでも自分でできる」と証明したがりますが、この自我(エゴ)を教師にしている心は、そうです、自我をよりどころにしているわけです。

歯を磨くことくらい、当然自分でできるし、車を運転することだって自分でできるし、お金を稼ぐことだって自分でできますよと信じきっています。

確かに、幼児の頃のように親に歯を磨いてもらう必要はないし、運転免許を取るために教習所に通って車を運転するのは自分なのだし、どこかバイトでも派遣でも、正社員でも、とにかく採用されたらそれで(あるいは自営で)稼ぐことができるわけですが、「自分でできる」と信じてやっているとき、つまり自我(エゴ)をよりどころとしているときに、何を主張している(証明したがっている)のかと言うと、「ほら、自分とはこの肉体なのだ」、「ほら、分離はリアルなのだ」ということです。あらゆる「自分でできる」ことというのは、肉体に関することです。

そのように過ごしていれば、必ず問題にぶち当たることになります。自我(エゴ)は、いつも問題を作り出します。問題にとらわれていることによって、平安を忘れ、愛を忘れ、真の自己を忘れていられるからです。真の自己——わたしたちは、肉体ではなくスピリット、清らかな心そのものなのだという真実——をすっかり忘れて、分離の信念を強化するためだけに時間を費やします。自我(エゴ)にとっては、日常のありとあらゆることは、そのためだけのものです。

 

自分には、よりどころなんて要らない自分は、独立した特別な、個別の存在だ。それが自我(エゴ)の掲げているスローガンです。この自我を教師にする心は、「自分でやりたい」と思うのです。「あれがしたい」、「これがしたい」、「あれが手に入れば幸せになれる」と考えて、コントロールしようとします。自分にとって何が最善か、自分はわかっていると考えます。この問題において、どうなることが解決なのか、自分は知っていると信じているのです。

・・さて、実際のところ、どうなのでしょう。
人生を自分の思う通りに動かそうとした結果、何を得られたのでしょう。コントロールできたことがあったでしょうか。それによって心からの幸せを実感できたことがあったでしょうか。すべての問題は、見事に、自分の力によって解決したと、胸を張って言えるでしょうか。これから起こるどんなことも、自分で解決できると・・・?

確信を持って、自信を持ってYESと言える人はいないことでしょう。なぜなら自我(エゴ)のルールは、「探せよ、されど見つけることなかれ」だからです。自我(エゴ)を教師にしている、よりどころとしている以上、真の答えは、真の幸福は、真の救いは、決して見つかりません。いつも過去か未来のことで頭がいっぱいで、心からの平安を感じられません。

それでも、このまま、「自分のことは自分で決める」、「自分のことは自分でする」、「都合が悪くなったときだけ他者を利用する」、なんてことを続けたいと思うでしょうか。

 

さっき、わたしたちは、よりどころなしでは生きていられない存在だと述べました。なぜなら、自分で自分を創造したわけではないからです。清らかな心そのもの、ひとつのスピリットであるわたしたちを創造したのは、真の愛です。愛そのものです。創造主と言ったり、神と言ったりすることもありますね。

愛そのものである創造主によって、創造主そっくりに創造されたのがわたしたち(心)です。ですから、わたしたちの源は、愛です。それをすっかり忘れてしまって、あたかも自分を人間(肉体)なのだと信じ、独立した、個別の存在なのだと信じて、意味のない夢を見ているわたしたちにとって、よりどころとなるのは、嘘を教える自我(エゴ)ではなく、この真実の記憶を保ったままである存在ホーリースピリットです。

 

歯を磨くのも、車を運転するのも、仕事するのも、家事でも、これは問題だと思うことでも、何でも、「自分でしない」ようにしたいものです。ホーリースピリットを頼りとしたい
自分でやろうとしたら、虚偽を真実として主張することになり、結果的に惨めな思いをしたり、苦痛を経験することになります。これから免れることはできません。「自分でやる=自我(エゴ)を頼りにする」なら、自我のゴールである、苦痛、絶望、死に向かってまっしぐらに進むことになります。

自分には力があるんだと言い張りたい自我の声に耳を傾けるのではなく(実のところちっとも力がないという事実を隠しておきたいだけなのです)、真の自己の聖なる力を思い出したい、そうしてみなが真に幸せであることを称えたい、ふるさとに還りたい、そのために内なるガイド、ホーリースピリットに導いてもらいたいと思うなら、必ず導いてもらえます。平安、幸福、愛へと連れて行ってくれます。

そのための、わたしたちの、今日のあれこれ——。毎日のさまざまなことは、「もう自分を裁かないで、自分をゆるしていいんだよ」、「本当はもうゆるされていて、愛されているんだよ」、「みんな本当は繋がっていてひとつなんだよ」という慈しみのメッセージを「はい、確かにその通りです」と受け取るための機会なのです。「いま、幸せを、真の愛を受け取っていい」という気づきを受け取れるのです。——歯を磨いている、その最中でも。自分でやらずに、ホーリースピリットと共にするなら。

 

2月、「なにひとつ、自分でしない」ということを、楽しく練習したいと思います。それは、別な言い方をするなら、「いっさい、闘わない」ということです。どんなに素晴らしい1か月に、愛と奇跡に満ちた1か月になることでしょうか。

よろしければみなさんも、ご一緒に——。

Blessings,

 

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2/2は「祈りの繋がり」の日です★
今回はゆだねることについての祈り
詳細についてはこちらをご覧ください
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