ほんとうの幸せを受け取る上で非常に大切なことは、なんでしょうか。
いろんな角度から、複数のことが言えると思いますが、最も重要なのは人との関わり合い方かもしれません。

20代の頃学んだ心理カウンセリングの講座で、基本的に人の悩みは人間関係の悩み(たとえ会社での、仕事のことで悩んでいるとクライアントが言ったとしても、話を聴いていくと、人間関係で悩んでいることがほとんど)だといったような話を聞いたことがありますが、確かにそうかもしれません。
仕事を辞めたい理由を聞いていくと、仕事(やるべき内容)そのものが理由ではなく、職場での対人関係が理由であることが多いという話を聞きました。

あるいは、こんなことも考えられます。たとえば仕事に関して、人間関係ではなく自分の能力のなさに悩んでいると思っているとしても、自分には能力がないと感じているのは、「誰か」と比較して判断したからであり、「誰か」からそのような評価を下された、あるいは能力なしと評価されることを気にしているということもあり得ます。

悩みには、「誰か」が、人が、くっついている・・と言えそうです。関係性そのもので悩んでいないとしても、人と関わって生きていく以上、切り離せないこと、無視できないことです。

 

自分自身について何か考えるとき、人を抜きにして、関わりを抜きにして考えることはできません。他者との差異を見て、比較して、判断するということを全くせずに生きてきた、などという人はいないはずです。「わたし」について考えるとき、「わたしでないもの」を明らかにせずに考えることができません。

わたしはA型です(B型、O型、AB型ではありません)、わたしは女性です(男性ではありません)、わたしは前向きです(後ろ向きではありません)、わたしはアウトドア派です(インドア派ではありません)、わたしは理系です(文系ではありません)・・・。単純なもので言えば、たとえばこんなふうに。

違いというものがなければ、悩むことはないというのに——実際、真実においては違いなどないというのに——、差異を見ずにはいられない、比較せずにはいられないので、あらゆる悩みを生み出します。持たなくてよい問題を抱えるのです。

 

 

人間は、差異を見ずにはいられないけれども、その目線を正当化して、そこに自分を縛りつけて生きていくことは、不幸せな生き方だと言えるかもしれません。自ら、悩むことを、苦痛を、選択し続けるからです。それをやめないからです。

比較して、優劣や勝ち負けや損得や美醜を判断するという、自我(エゴ)のつまらない考え(分離を証明したがる思い)に染まってしまうのではなくて、そんな人間目線を超えた、見えないものを見る心になれば、聖霊(ホーリースピリット)という内なる教師を選ぶならば、ほんとうのわたしたちには、なんの違いもないことが感じられます。全く同じ光だという真実を反映したものを目撃できます。

 

悩むのは、人との関わり合い方を間違っているからだと言えそうです。それがたとえ、「人間関係の問題じゃなくて、金銭問題なんですけど」と言いたくなるようなことでも。たとえば、「お金に困っているわたしは恥ずかしい、情けない」という思いには「誰か」がくっついています。「恥ずかしい」というのは、他者の存在なしに抱く感情ではありませんし、「情けない」というのは、自己否定の思いですが、誰かに対して申し訳ないと感じているから出てくる感情ではないでしょうか。

 

違いを見る、比較することは、間違った関わり合い方。生き方。
では、正しい人との関わり合い方とは、生き方とは、なんでしょうか。

 

A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)という本(日本語訳版は『奇跡講座』/『奇跡のコース』)に、素晴らしい教えが書かれています。

誰に出会うときも、それが神聖な出会いであることを思い出しなさい。あなたは、彼を見る通りに自分自身を見る。彼を扱う通りに自分自身を扱う。彼について考える通りに自分自身について考える。このことを決して忘れてはならない。なぜなら、彼の中で、あなたは自分を見失うことにも、自分を見出すことにもなるからである。二人の神の子が出会うときはいつでも、両者に救済のための新たな機会が与えられる。救済を相手に与え、自分も受け取ることをせずに、誰のもとからも立ち去ってはならない。

(T-8.III.4『奇跡講座テキスト編』/中央アート出版社)

 

相手の中に、肉眼では見えない輝きを、清らかな光を、透き通った心を、美しいスピリットを見させていただくことによって、自分自身の中にもそれがあることが思い出され、わたしたちに分離はなく、むろん差異などなく、同じであるからこそ、ひとつであるからこそ、今、ともに本当は救われていて、幸せなのだということがハートで感じられます。

 

 

 

比較して判断する、裁く心は恐れに満ちているので、幸せを受け取れませんが、繋がること、同じ光を思い出すことを選択する心は、真の愛の反映を目撃できるので、幸せへと自然と運ばれていきます。悩む必要はなく、問題を抱える必要はありません。あったかに思えた問題は、すべて消えます。

自分の中に見ている無力さ、脆弱さ、愛のなさ、不完全さ、暗闇を、誰かの中に投影して見て裁いているとしても、ホーリースピリットに助けを求めることによって(これはかなり重要なことです)、相手の中に聖なる光、無垢性、清らかさを見るなら、自分の中の暗いものは消えていきます。そうして、幸せを受け取れるようになります。

肉眼で捉えたものに執着するよりも、そこに勝手な意味づけをせずに(それは自我のやることです)、ホーリースピリットとともに見ること、慈しみのまなざし、祝福のまなざしで見ることを、見えないものを見る心でいることを、選びたいものです。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございます。
Blessings,

 

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