2020年1/1から、『ア・コース・イン・ミラクルズ』(A Course in Miracles/『奇跡のコース』/『奇跡講座』)という本のワークブックレッスン5巡目をスタートすることにしました。
これは本当の意味での、「心のトレーニング」をするためのもの——平安と幸せがゴールであり、真の自己を思い出すプロセスを支えるもの——で、わたしはこのワークブック(基本的には1日に1レッスンずつ進むという、365日分の深い内容が記されているもの)に取り組むことで、明らかに人生が変わりました。
まだ若干、7年が過ぎたところですが、それでも、ACIMを学び続けてきたこの7年間は、信じられないほどの愛と奇跡に満ちていました。こんなにも人生において、真の豊かさを受け取らせていただけるとは、想像だにしなかったことでした。
もう随分前のことですが、さまざまなスピリチュアル関連の本を読んでいたけれど、どれもどこか曖昧で、「ごまかし」があるような感覚がするし、一番肝心なことは書いておらず、矛盾が見つかってしまうので、それが嫌になり、宇宙に向かって「わたしは真実だけが知りたいんです! それ以外は要りません! 真実だけを教えてください!」と心の中で、けれども大声で、訴えたことがありました。20代のわたしの、本気の訴えでした。
それからどのくらい経ったでしょうか、ある日、大阪の書店のスピリチュアルコーナーに広辞苑のように分厚い本が置かれてあるのに気づきました。その書店には足繁く通っていたので、きっと、前から置いてあったのでしょうけれども、最上段に堂々と立っている彼は、目に留まらなかったのです。
どうも気になる……。『奇跡のコース』? 何だろう……。
ずっしりとしたその本(『奇跡のコース 第一巻:テキスト』/ナチュラルスピリット社)を、ゆっくりと引き出し、表紙を開き——確か、最初に序文に目を通したのだったと思いますが、こう書かれてありました。
これは、奇跡についてのコースです。これは必修のコースです。あなたに任されているのは、コースを受ける時をいつにするかだけです。自由意志とは、あなたがカリキュラム を設定できるという意味ではありません。ある時に何を学ぶかを選択できるという意味です。このコースは、愛の意味を教えることを目指すものではありません。というのは、愛の意味を教えることはできないからです。しかしながら、このコースは、あなたの生得の権利である愛の存在について、自覚を妨げている障壁を取り去ることを目指します。「愛」の反対語は怖れですが、すべてを包含するものに反対語はありません。
故に、このコースは次のように端的に要約することができます。
実在するものは、存在を脅かされることはありません。
非実在なるものは存在しません。ここに「神」の安らぎがあります。
ここまで読んだとき、「あった!これだ!」と思ったことを、今でも憶えています。見つけた!という嬉しさがありました。
真実だけが知りたい。混じりけなしの、ごまかしの一切ない教えを、求めていたのです。矛盾のない、完全な「真実」を。
この序文を読んで、書かれてある意味が理解できたわけではありませんでしたが、直観したのです。
その、わたしのなかを走り抜けた強い確信は、今もなお、薄れることなく濃くはっきりと——当時よりもさらに増して、わたしを導いてくれています。
けれどもそのときのわたしは、次のページを開き、第一章第一節を少し立ち読みしてみて、こう思ったのです。
「ダメだこりゃ。今のわたしの周波数は低すぎて、この本と釣り合わない……。もっと成長してから、この本にお世話になろう……。その時はよろしくお願いします」と思いながら、本を閉じ、棚にそっと戻しました。
必ず、戻ってきますから、待っていてください。
そんな気持ちでした。
釣り合わないなどと、思う必要はなかった(自己を否定的に見る必要はなかった)のですが、当時のわたしにはそう感じられたのです。まだ早い、早すぎる、と。
でも宇宙が、わたしが探しているものはちゃんとあるのだと示してくれた気がしました。
その後、さまざまな導きと奇跡を経て、本格的に学ぶようになりました。テキストと、ワークブックを並行して学び始めたのです。
ワークブック1巡目は、頭が「?」でいっぱいになるばかりで、モヤモヤしましたが、それでも、確信と意欲に支えられていました。何しろ、わたしは、ただただ真実が知りたい一心でしたし、目覚めたかったのです。もう、嘘と矛盾ばかりの世の中の教えには従いたくはありませんでした。
テキストは「意味不明」でしたけれども、「読書百遍意自ずから通ず」と言うのだし、わからないなりに丁寧に今後繰り返し読んでみようと思い、また、ワークブックのレッスンについても、できるだけ、声の主(イエス)の指示に従って、喜んで学ぼうと思っていました。
そういうわけで、ワークブック1巡目は、とても濃密な2年と3か月になりました——365日のレッスンなのですが、抵抗もありつつ進んでいたので、気づけばそれだけの時間がかかっていました——この1巡目のときが最も神秘体験が多かったように思います。世界が実在していないということを、はっきりと感じることを経験したのです。
ワークブックのレッスン30番あたりまでは、非常に気味の悪い時期でした。
人生を通して学んできたこと、培ってきたこと、得た知識の数々がブロック塀で、1枚の板の上にそれを積み上げてきたというふうにたとえるなら、レッスンが順番に進むにつれて、その板(わたしのその頃のイメージはお盆でした)が、徐々に傾き始め、堅固と思えていたブロック塀がずるずると滑り出し、崩れ始め——この感覚が非常に気持ち悪かったのです——、レッスン30あたりになったときに、その板(お盆)が180度ひっくり返ってしまった感覚がありました。
ひっくり返ってしまってからは、とても気持ちのよい感覚でした。
ああ、今まで、何という勘違いをしてきたんだろうかと、清々しい気持ちで、嬉しくなりました。
むろん、葛藤はありつつ進むという道のりでしたが、4巡目のときは、1レッスンごとにブログで気づきの記録をつけ続けたおかげもあって(それはかなりハードでしたが、笑)、とても深い学びを受け取る機会になりました。平成の終わりと同時に4巡目が完了——。
そして、今年は5巡目です。テキストの精読(流し読みではありません)は、昨年末にやっと2巡目を終えました。
テキストと並行して続けてきたためか、5巡目は今までで最も喜びを感じられるレッスンとなっています。
あふれる情熱でそれぞれのレッスンを当てはめてください。まるで、この瞬間を経験するための悟り以外には何もないかのように行ってください。情熱が鍵です。それが「わたしは何もする必要がありません」(テキスト18・VII)の意味です。何かをすることは、常に身体の思考です。あなたはレッスンを進めるにつれ、レッスンが言葉を超えた神聖な静寂の経験へ向かうための出発点にすぎないと気づくでしょう。
(『覚醒のレッスン 『奇跡のコース』を通して目覚める』/デイヴィッド・ホフマイスター著/ナチュラルスピリット)
——まるで、この瞬間を経験するための悟り以外には何もないかのように。
5巡目ですから、奇跡のコースの教師、デイヴィッドが教えてくれている通りに取り組んでみたいと思います。
4巡目は365すべてのレッスンでの気づきをブログでシェアしてきましたが、5巡目はYouTubeで分かち合うことにしました。
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最後までお読みくださり、ありがとうございます。
Blessings,
愛
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