蝉たちの声も——ここ、梅田の高層ビル群が遠くに見える我が家でも、大勢の蝉たちが一斉に鳴くのが聞こえます——、“Shalom!”という美しい挨拶に感じられる、優しい夏を過ごしています。

シャローム(Shalom)というのはヘブライ語で、挨拶のときに使われます。日本で言えば、「こんにちは」もしくは「さようなら」と挨拶するような場面で、「シャローム」と言うのです。このことは、ドラマの『The Chosen』で知りました。

Jesusや弟子たち、ほかの登場人物たちが、「シャローム、シャローム」と挨拶していて(なぜ2回言うのかについては、ぜひドラマを観て感じてほしいです。公開されているSeason1〜4のうち何番目のエピソードだったか忘れてしまったのですが、素敵な場面が2回あるので◎)、この単語はヘブライ語で「平和」という意味だということは知っていたので、こんなふうに挨拶しあうって素敵だなと感じながら観ていました。

 

ここまでタイピングしながら、Shalomについてgoogleで調べてみようという感覚になり、検索をかけてみると、興味深いページに出合いましたので、ご紹介します。

Shalomという言葉を構成する三つの子音の塊は、右からShin-Lamed-Mem (ש.ל.מ)の組み合わせです。音で言うと、Sh(シューズのシュ)、L(ラムのラ)、M(メインのメ)になります。

さて、このShとLとMの組み合わせですが、この組み合わせが持つ意味はちょっとディープというか素敵というか、簡単に言うと、「完全な状態」を意味します。精神的、物質的、人格的、対人的な場面で、何かが欠けておらず完結している様子、とでも言いましょうか。

ShとLとMの組み合わせが名詞として用いられる場合のShalomは「平和」を意味します。

挨拶で用いられるShalom!は、つまり、「あなたに平和がありますように!」という意味になり、アラビア語に言うSalaam(サラーム)と同じです。

引用元:日本イスラエル総合研究所website|ヘブライ語 -シャロームについて-より

 

3つの子音Sh,L,Mの組み合わせで、「完全な状態」を意味するだなんて。興味深いですよね。それなら、「Shalom!」という挨拶は、「全き平安を!」と、お互いに呼びかけ合う祈りの言葉のようではないですか!なんと美しいのでしょう♡
(ちなみに韓国語のアニョハセヨは、もともとはアンニョン[安寧]ハセヨで、直訳するなら「安らかでいらっしゃいますか?」なのだそう)

先日のATT月朝クラスで初めて、みなさんおひとりおひとりに「Shalom!」とご挨拶させていただいたのですが、8月からどのクラスでも、「Shalom!」(全き平安を!)とご挨拶したいなという気持ちになっています♡

これを知らずに、この数日、手を洗っていたり、家事をしていたりするときに、なんとなくの感覚で、「Shalom! Shalom!」と心のうちで言っていましたが(時々、声に出してしまっていたかもしれません 笑)、なんだか世界中の兄弟姉妹たちと心のハグをしているような気持ちになるので、深い意味を知った今日から、静かな喜びを感じながら祝福の心で続けたいと思います。

 

広島で過ごしたMinistersリトリートは、たくさんの贈り物で満ちていましたが、そのなかの1つの体験が今もわたしの心に響いています。

1日目の昼食場所について決めることを通して、嬉しい贈り物を受け取りました。
Ministersリトリートの詳細は、リンク先ページに書いてある通り、メンバーの皆さんと一緒に祈りの中で決めていくことになっていて、1日目の昼食場所の候補が、おむすびとうどんのお店か、お好み焼き屋さんか、結果的に2つになった場面がありました。

わたしはどちらになってもOKでした(それは日常生活のかなり多くのことに関して、基本的にわたしがいつも感じている心の状態、「どれになっても/どういう展開になっても贈り物として受け取ります」という状態でした)。

2つお店の候補が挙がっていたので、わたしたちは静かな心で、すべてを委ねる祈りの思いにとどまって、最終決めるわけですが(どちらも行かないとか、3つめの候補があるよと伝えるとか、なんでもあり得ますね)、わたしがイエスに委ねて、はっきりと受け取ったのは、お好み焼き屋さんを選んだ方々が多数いるなか、その時点でおひとり、おむすびとうどんのお店に興味があると答えておられた方と<ご一緒する>という感覚でした。

そのときに、より鮮明になったのは、わたしの「どちらでもOK」というのは、この世のあらゆる選択肢に向けられた思いなのではなく——だから、今回の場合、わたしは食べ物に好き嫌いはないし、食の好みに偏りがないから、どっちのお店に(みんなで)行くことになってもいいよ!という意味では全くなく——、どれを選ぶことになるとしても、わたしが心から望んでいることは、<兄弟を見捨てないこと>、<兄弟と一緒にホーリースピリットからの贈り物を受け取ること>、これだけなんだということでした。

ちなみに、「見捨てない」というのは、同情心で、という意味ではありません。「一人だとかわいそうだから」という、見下しの考え(兄弟を弱い者としてみなす自我の解釈)は、「兄弟を見捨てない心」なのではなく、「自分は冷たい者/悪者にならずにいたいという防衛心」です。言わずもがなのことですが。
 

最終的に、おむすび屋さんに行くことになったのは、その方とわたしの2人だけで、ほかの12名の方々はお好み焼き屋さんを選ばれました。わたしはその方が、「みんながお好み焼き屋さんを選んだから、じゃあわたしも」と決意せずに、罪悪感なく、最初から受け取っておられた感覚を信頼し、おむすび屋さんを選ばれたその思いと<ご一緒する>ように、と、イエスに促された感覚があり(この意味で「兄弟を見捨てない」のです)、2人で行くことにしました。

イエス(または聖霊)の決断のしかたは、多数決ではないのだということを、Ministersリトリートの当日までの流れではっきりと感じていました。いつ広島に行くのかについて、意外なことに、その日程が分かれたのですが、誰が自我の声を聞いているのかとか、〇日に行くと感じたのは誰だったかとか、一番多かった日程はどこかとか、そんなことはすべてどうでもよいことでした。そうした考えを持ち出すとしたら、それこそ、自我に従っており、聖霊の声に従っていないのですから。

昼食の場所についても、全員が同じ店に行かなくてはいけないという決まりはないのだし(イエスはそのようなことを決してわたしに言いませんでした)、わたしは兄弟を信頼し、見捨てず、寄り添い、共に贈り物を受け取るという教えに従いました(ちなみに、お好み焼き屋さんを選んだ方々が、兄弟を見捨てたのだとは言っていません、誤解なさらずに)。

 

いきさつをすべて書いたら、とんでもない量になるので割愛しますが、当日そのお店でわたしたちは様々なことをシェアしあいました。貴重な時間でした。そこで自然とわたしが話したのは、2日目の会議室でおこなう予定になっているワークについてでした。コースの本文のうち、イエスが質問をしている文をワークで使うために人数分ピックアップしたのですが、そのうちの1つに、「彼 [兄弟] の言葉が、聖霊からあなたへの答えである。その言葉を聞けるほどに強い信を、あなたは兄弟に対して抱いているだろうか」というのがあって、わたしはそのことをふと思い出したのです。

具体的な会話内容については記憶が曖昧ですが、このテキストに書かれているメッセージについて、おむすび屋さんの定食を食べながら、その方とお話しました。色々とシェアしあったこの時間が、贈り物そのものでした。兄弟が“答え”なのだということを受け取る喜びは形容しがたいほどのものです。

不思議に思われるかもしれませんが、その方が最初の感覚のまま、おむすび屋さんに行くと決められたことが、わたしにとっての”答え”でした。“答え”というのは、“メッセージ”とも言えます。それは無論、「おむすび屋さんが正解」などというメッセージなのではありません。
言語化してみるなら、“静けさのなかで受け取ったことを信頼しましょう。多くがそれを選ばないとしても、罪悪感なく、躊躇なく、余計な心配をすることなく、そのまま進みましょう”といった意味だと言えるし、“兄弟を見捨てることなく信頼し、いつも兄弟のことを真に思える心でいましょう”という意味だとも言えます。

自分を肉体だと信じ、個人的な存在だと信じているのなら、何を選んだとしても、自我を選んでいるのです。本当に聖霊を選ぶ気があるのだとしたら、兄弟と繋がっていてひとつであることに心を開いているはずで、<聖霊を選ぶ=兄弟を選ぶ>、<聖霊の声に耳を傾ける=兄弟の真の声に耳を傾ける>という学びを受け入れているはずです。

 

2日目の呉市の会議室。予定していたワークをしました。人数分の、それぞれ異なる、イエスからの質問(投げかけ)が書かれたくじをみなさんに引いてもらったのですが、おむすび屋さんでご一緒したその方が引いたのは、「彼 [兄弟] の言葉が、聖霊からあなたへの答えである。その言葉を聞けるほどに強い信を、あなたは兄弟に対して抱いているだろうか」、この質問だったのです!このこと自体も、”答え”でした。鮮やかな”答え”でした。

数学は得意ではありませんが、こうなる確率を計算したら、なかなかのことだと分かるのではないでしょうか。笑
(ちなみにみなさんドンピシャだったので、“全て完璧”でした)

“聖霊からの答え”というのは、<すべてに対する答え>です。一問一答なのではなく、一問答です。すべての問題に対する答えであり、すべての兄弟に対する答えです。その時だけのものではなく、この夢の世界にいるあいだ、ずっと効力をもつ“答え”です。

誰との関わり合いにおいても、その兄弟を通して、聖霊からの答えを受け取れます。言葉を聞くのではありません。心を聴くのです。スピリットの声を聴くのです。兄弟のなかのキリストが、常に答えてくれています。練習ですね♡

 

九章Ⅱ5.兄弟があなたに送るメッセージは、あなた次第である。2彼はあなたに何と言うだろうか。3あなたは彼に何と言わせたいのだろうか。4彼についてあなたが決断することが、あなたがどのようなメッセージを受け取ることになるかを決定する。5聖霊が兄弟の中に居ること、そして、兄弟を通して聖霊の声があなたに語るということを、思い出しなさい

かくも神聖な兄弟が、真理の他に何を、あなたに語れるだろう。7しかし、あなたはそれに耳を傾けているだろうか。8兄弟は自分が誰であるかを知らないかもしれないが、彼の心の中にはそれを確かに知っている光がある。9この光はあなたの心の中に入って輝くことができ、彼の言葉に真理をもたらし、あなたに彼の言葉が聞こえるようにしてくれる。10彼の言葉が、聖霊からあなたへの答えである。11その言葉を聞けるほどに強い信を、あなたは兄弟に対して抱いているだろうか。

emphasis mine/『奇跡講座 上巻』中央アート出版社
(見やすくするため改行を入れました)

 

相手のことを、この人は弱く、欠けている存在だ(つまり有罪)とみなしているなら、それをメッセージとして自分が受け取ることになってしまいますが(自分の中の信念、暗闇を相手に投影しているわけですが)、相手は聖なる神の子(つまり無罪)だという真実に心を開くなら、それをメッセージとして自分が受け取らせてもらえる(与えることと受け取ることは同じという体験をすることになる)のです。相手がどんなことを話していようとも、どんな態度をとっていようとも、です。

最近のクラスで、ある方が、「高齢の母が食事の前に、今日これで一日(自分の老いた体が)もつかな?と言うんです」と話されていたとき、わたしにははっきりと、その方のお母さまの内なるキリストが、“わたしたちの糧は神の愛だけです”と告げてくれているのを“聴き”ました。わたしはすでに祈りのなかにいたのです。わたしたちが思い出したいことを、聖霊がその方のお母さまを通して、教えてくれていました。地上にいるあいだ、ずっと有効な”答え(メッセージ)”であり、全員に対する“答え”であり、あらゆる問題に対する“答え”です。

次の日からお母さまは、いつもお決まりだったそのセリフを言わなくなったのだそうです。わたしたちの祈りは、すでに成就しているのです。もちろん、心のレベルにおいて。わたしはその方のお母さまに心から感謝しました。このとき以降、わたしは食事の前に、次のお祈りをすることになりました。

この食事が、自我の不足感を満たすためではなく、わたしが神の愛のみに支えられていることを片時も忘れないための機会としてください。わたしたちの糧は、父なる神からの永遠の愛だけです。全世界に平安がありますように。わたしとひとつである兄弟に、今日、奇跡が訪れますように。

「全世界に平安がありますように」は、レッスン360に記されている一文です。赦しを受け入れた心による想念が、すべての兄弟姉妹に延長されることを思って(つまり形のレベルの「平和」ではなく、心のレベルでの“平安”を思って)祈っています。クラスでシェアしてくださった方にも心から感謝しています。

 

随分長い文章になってしまいました(5000文字を超えてしまっています、笑)。ここまで読んでくださっている方がおられるのでしょうか、ありがたいことです。

タイトルに記した、“so holy a brother”というのは、さきに引用したテキスト9章の「かくも神聖な兄弟」にあたる本文です。この表現は、文学的、古風で詩的な表現なのだそうで、16世紀から17世紀の英語文学や宗教的な著作に見られる、文学的なスタイルの一部であり、シェイクスピアの作品などに見られるそうです。
『奇跡講座』では「かくも神聖な兄弟」と訳されていますが、soを「とても」や「非常に」と訳さずに「かくも」と記してくださるところに、so holy a brotherという古風で詩的な表現が使われている(この語順で書き取られている)ということが、少しでも日本語で伝わるようにと考慮されたであろうことが伝わってきます。

誰もが例外なく・・本当に・・神聖な兄弟。
兄弟を通して、聖霊からの答えを受け取ること。神の子に罪はなく、すでに救われているということに心を開き続けていること。これだけですね♡どんな古い信念も、瞬く間に取り消される奇跡を受け取ることができます。誰でも。意欲さえあれば♡

真にメッセージを受け取ることについては、今年の9/29に開催する大阪セミナーで詳しくお話したいと感じています。毎日、あたたかな愛の贈り物を受け取れるようになりますよ♡みんなで実際に体験してみましょう!

最後までお読みくださり、ありがとうございます。
心からの感謝と祝福を込めて…

Shalom! Shalom!

2024.8.1配信
(繋がってくださっている方に毎月お送りしています)

 

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