FacebookやInstagramのタイムラインに、桜の写真がたくさん流れていたのですが、それを撮っておられた方々の心のほうを感じながら写真を眺めるというのは、なんだかとても優しい時間であたたかく、幸せな気持ちになりました。

今日から4月。
10年間、学校で勤めていたからか、4月になると「始まり」を感じます。今年は、4月になったから、ではなくて、ちょうどわたしの心がスッキリして——ひとつのことに関して、ある意味で結論が出たのです——、コースの言う“幸せな夢”を、これまで以上に深く受け入れられる心境になったのがこの時期だった、4月のはじまりと重なった、という感じがしています。
 

ここ最近は、お隣のおばあちゃんのことを書いていますが、先日とてもおもしろいことがありました。

「巧みな指揮」についてのお返事を、イエスに祈ってしたためたのですが、その手紙をおばあちゃんは何度も読んでくださっているということがわかり、やっぱり“メッセージ”は、真に共有されるものなのだ、両者の心に拡がってゆくものなのだと、いっそう確信できただけでなく、とても嬉しいことがあったのです。

おばあちゃんが読んでおられる本の数カ所を引用してくれたのですが、そこにこう書かれていました。
 

「いずれにしても信仰、希望、愛は残ります。そのうち最も優れているのは愛です」

「私が預言する能力を持ち、全ての神聖な秘密と全ての知識を理解していても、また、たとえ山を動かすほどの信仰を持っていても、愛がなければ無価値です」

 

引用のあとに、

愛さんも「この愛は永遠だからこそ人々の胸を打つのだと感じます」と書いていましたね。
この愛の源は?教会を訪れて「祈った」とも。
誰に祈ったのですか?
私が読んでいる本が何なのかお分かりになったかも……

と続いていました。

 
長崎でのマリアリトリートで、いくつかの教会を訪れたのですが、ある教会で、メモ帳が売られていることに気づきました。無人で、お金を入れて持ち帰る形式です。小さな正方形のメモ帳(教会の写真が右下の角に印刷されていました)を見たとき、すでに買ってあった、おばあちゃんへのお土産(カステラ)に添えるのにぴったりだと感じました。

なぜかこのとき、教会の写真が入っていることがポイントだと感じたのです。宗教に関しては、日本において、あまり触れないようにするものだろうから、キリスト教とわかるものを選ぶこと(ちなみにわたしは無宗教です)は、少し躊躇われる気もしますが、このときは、これが大事なことのように思えたので、メモ帳を買い、手紙(長崎に行ってきたことなどを書きました)とは別でこのメモ帳に少しメッセージを添えて渡したのでした。
 

翌日のこのおばあちゃんからのお手紙を読んで、思わず「イエスって本当にいるんだ!」と声に出して言ってしまいました。「山を動かすほどの」の部分を見ただけでも、きっとみなさんも、イエスを思ったことでしょう。コリントの信徒への手紙の引用だと知らなくても、コースにもこの言葉は出てくるからです。

テキストかどこかの箇所を精読していたときの調べ物で、コリントの信徒への手紙のこの箇所は読んだことがありました。そして昨年の5月のおたよりで、ここに触れて文章を書いたことがあったのです。同じところを引用していました。

 
先日、お隣のおばあちゃんが鬼フライのお菓子を持ってきてくれたときに、「コリントの信徒への手紙の引用ですね、イエスに祈っておられるんですか」と尋ねました。そうなのだと教えてくれました。

わたしはクリスチャンではないけれど、わたしとおばあちゃんは、同じイエスに導かれていると感じます。イエスはどこにでもいます。誰の中にもいます。

 

つい先日、ある方と読んだテキストの箇所にこうありました。

7「われは常に汝らと共に在るなり」と言ったとき、私は文字通りのことを意味していた。8私は、いかなる状況にある誰にとっても不在ではない。9私がいつもあなたと共に居るので、あなたが道であり、真理であり、生命(いのち)である。

T-7.III.1:7-9/『奇跡講座 上巻』
中央アート出版社
 
 
こんなに心強いメッセージがあるでしょうか。そしてこのメッセージを真に受け入れるのであれば、
 
3私が無駄に死んだと教えてはならない。4そうではなく、私があなたの中に生きていると示すことによって、私は死んでいないと教えなさい。

T-11.VI.7:3,4
 
この言葉に、「はい、そのようにします」と、言えるはずなのです。これ以外にないと感じます。
 
 
ニューマン枢機卿の祈りに、このような箇所があります。
 
わたしが出会うあらゆる人々が
わたしの中に、あなたの御姿を感じることができますよう、
わたしの内で輝いてください。
 
主よ、人々がもはやわたしではなく
あなただけを見ますように。
わたしの中におとどまりください。
 
そうすれば、わたしがあなたの光で輝き、
わたしの光で他の人々も輝くことができるのです。
 
主よ、光はすべてあなたからのもの、
ごく僅かな光でさえ、わたしのものではありません。
 
あなたがわたしを通して
人々を照らしておられるのです。
 
 

 

これを望みます。
amen

Blessings,

2023.4.1配信
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