少しずつ春の訪れを感じられるようになってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

先月のおたよりで、相手がどんな状態であるとしても、心から信頼することについて触れましたが、わたし自身、相手を心から信頼して贈り物を受け取るという、深い癒しを経験しました。

それは意図していなかったことでしたが(奇跡の原理5、“奇跡とは習慣であり、意図せずに起こるべきものである”)、自分の心が何を望むか——何を、というより、どちら(自我か聖霊か、裁きかヴィジョンか)を望むのか、心に決めたほうを必ず経験するのだということを、改めて、そしてさらにいっそう深く、受け取ることになりました。

信じられないことに、わたしは家族にさえ言ったことがないような暴言を(これまで親に対して相当ひどいことを言ったことが何度もありますが、それでもさすがにこれは言わないというようなひどいセリフを)、ある人に吐き出してしまい(この関係にホーリースピリットをお招きして祈った後のことでした)、さすがに嫌われただろう、終わっただろうと思いきや、全部受け止めてもらえるという、想像していなかった結果になったのです。裁きなしに受容されるという、癒しの経験でした。
 

醜さは、醜いものとして忌み嫌われるもの、恥ずべきものだと思っていたのに、醜さを贈り物として真に受け取ってもらえたという奇跡は、家族以外では初めてのことで——醜さは人に見せるものではない、晒すのは下品なことだと思っていたからです——、とんでもない解放の体験となりました。

誰かの、本人がこれは醜いものだと信じている思いであっても、わたしはそれを心の両手で抱きとることができるし、その奥にある真の美しさが見えるから、なんでも気にせず表現してほしいと、関わる人々に対してそう思っているにもかかわらず、自分のこととなると、こんなものはさすがに見せられない、このような黒々とした考えを相手に吐き出すのはよろしくない、ホーリースピリットに差し出して訂正してもらうことに専念すべきだと思って、自分の中だけにとどめてきたのです。

 
どう見るかの責任は自分にある。それは確かなことだけれども、自我の見方でどう見ているかを相手に言ってはいけないというわけではなく、それが攻撃を目的としたものではなく、解放を、ゆるしを、癒しを目的としているなら、本当に相手を信頼したいなら、エクスプレスすることがとても大切なのだと実感しました(それにしてもわたしのエクスプレスは酷かった、あんなふうでなくてもよかったと思ってしまいますが 笑)。

どちらかと言えば、思ったことはハッキリ言ってしまうほうだと思っていたのですが、醜さを見せられるほど人を信頼したことは今までなかったなと気づいたのです。本当に醜いものを、です。「ちょっと恥ずかしいお話」なんていう、かわいらしいものではありません。そのくらいなら、あちこちでカミングアウトしてきています。

 
醜さを裁きなく受け止める経験と、醜さを裁きなく受け止めてもらう経験の、両方が大事なのだろうと感じます。そうして初めて、人間の醜さを美しさとして抱きしめられる。自我の狂気の思考体系を丸ごとゆるせる(すでにゆるされている、取り消されているとわかる)。

神の子の麗しさを全面的に受け入れられるようになるには、あり得ないものだからこそ、あると信じている醜さを、ホーリースピリットに差し出すこと。差し出す——。ときにそれは、兄弟である誰かに、信頼して開示することかもしれません。一緒に癒しの経験として受け取ることになるかもしれません。ホーリースピリットの采配によって。

 
わたしが先月このような贈り物を受け取れたのは、相手の方のおかげ、寄り添って聴いてくれた友たちのおかげであるし、また、お隣のおばあちゃんとの文通のおかげでもあったと思います。

今月も、お隣のおばあちゃんからのお手紙のお返事を書きます。
おばあちゃんから、また、嬉しいことに、お題をいただいたのです。

お手紙の途中からですが、こうありました。

私が求めていたのは真理でした。
どの時代にもどの国の人にも適用するものです。
だれにとっても正しいことです。
なんだと思われるかな?

 

お隣のおばあちゃんがイエスに思えます。
わたしの教師です。

さて、ホーリースピリットに委ねたら、どんなお返事になるのでしょうか。楽しみです。
 

わたしは関わり合うすべての方々の愛に助けられています。
わたしが奇跡を、愛の贈り物を、癒しを受け取れるのは、みなさんのおかげです。コースを知っているか否かによらず。年齢も性別も何にも関係なく。

 

私は真理だけを必要としている。

(W-pII.251/『奇跡講座 下巻』/中央アート出版社)

 
まさにこの通りなのだと自覚するために、人々に、兄弟姉妹たちに助けてもらおう、という気持ちです。ときに醜さを開示して。醜さの向こうにある神の子の聖性を兄弟のなかに見て。どちらも「助けてもらうこと」であり、「助けとなること」でもあるのですよね。ここに信頼を置いていたいです。これからもずっと。

Blessings,

2023.3.2配信
(繋がってくださっている方に毎月お送りしています)

   
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3/3は「祈りの繋がり」の日です★
今回は不足感と豊かさに関するお祈り
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今月もclubhouseでお祈りします
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