2022年の前半が終わりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

コースを学ぶようになった(ゆるしの実践を重ねてきた)おかげで、蒸し暑いからイライラする!ということはなく(イライラする原因は蒸し暑さではないのです)、ホーリースピリットの静けさのうちにとどまって、清涼さを感じられるようになりました。

「清涼」という言葉をなぜかふと調べてみたくなり、いま検索をかけてみたのですが、「しょうりょう」と呼んだ場合は、「浄土や悟りなどの絶対の境地をいう語。」(デジタル大辞泉)なのだそうです。わたしのなかでは冒頭で書いたことと繋がっていて、なんだかおもしろく感じられました。まるでJesusが、ウィンクしてくれたようで。

 

ここ数ヶ月の「今月のおたより」のタイトルは、なぜだか英語です。今月は“ambivalence”。

ambivalence

  1. 《心理学》両面性、両面感情[価値]、アンビバレンス◆ある対象に対して全く反対の二つの思考、感情、態度などが存在すること。
  2. 〔心的葛藤によって起きる〕ためらい、迷い、逡巡

(英辞郎 on the WEB)

 
コースを学びたいと思うし、ゆるしを実践し、イエスに導いてもらってわが家に、ふるさとに帰りたいと思う。けれどもそれと同時に、特別な自己(自分が思う自分、個別の存在だと信じている自己)をあきらめたくない、放棄したくないとも思う。アンビバレンス。

この人のことをとても特別に思う。大事だし、大好き。愛していると感じる。けれどもそれと同時に、憎らしくもある。もっとこうしてくれたら、と思う。わたしのことも理解してよ、と苛立つ。不満やら期待やらが消えることがない。腹立たしく感じてしまう。アンビバレンス。

憧れるし尊敬する。見習いたい、教わりたい、自分もこんなふうになりたいと思う。けれども同時に、嫉妬心もある。その人に欠けている部分を探し出して、なんだ、こんな一面もあるじゃないかと見下し、自分にはこの人より優っている部分がある、この点においては勝っているはずだと思ったりもする。アンビバレンス。

 

なんて、醜いのだろう。
もし自分の中の両面性、両面感情に気づいたら、そんなふうに思えてゾッとする人がおられるかもしれません。3つ例を挙げてみましたが、読んでいるときにちょっと赤面した方がいたりして?(笑)。「え、これ、わたしのこと言ってる?」と。さて、何人ぐらいの方がそう思われたのでしょう。存外、多かったりして(笑)。

うわっ、エグい!と思えるような部分を、内なるガイドであるHoly Spirit(聖霊)と共に見るなら、そこに光が当たって優しく消えていき、本心だけが残ります。

純粋な愛、ゆるしを選ぶ心、兄弟を祝福する心、神の平安だけを望む思い——。

余計な考え、アンビバレントな思いなしに真に求めるなら、リアルなものだけがリアルなのであって、それはすでにもう在るということ、与えられているということ、すべてとひとつであることが思い出されます。

 

あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことだけである。2真実を探し出す必要はないが、虚偽を探し出すことは確実に必要である。

T-16.IV.6:1,2/『奇跡講座 上巻』
中央アート出版社

 

だって、ここには愛がない。だって、わたしには愛が与えられていない。だって、この人のどこに愛があるというの。
自我のこうした文句そのものが「愛を阻む障壁」なのだし、明らかに「虚偽」なのだし、「ない!」と主張しているから、ずっと見えないまま、感じられないままなのですよね。

喧しい思いの数々、暑苦しい考えのすべてを、見つけ次第、ホーリースピリットに差し出して、訂正してもらいたいものです。そうして涼しい風が優しく頬を撫でるのを、爽やかな愛の香りが広がるのを、感じましょう。

ambivalenceは、遠い過去。
聖霊と共に、静かに微笑んで見過ごす夢。
 

慈しみの光に満ちた夏を。

Blessings,

2022.7.3配信
(繋がってくださっている方に毎月お送りしています)

   

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