桜の季節になると、業平や小町の短歌が自然と思い出され、何かそれとリンクしたことを書きたくもなりますが、
昨年の4月に業平の和歌に少し触れてみましたし、今年は・・心のうちで、ずっと桜が咲いている、その静けさと美しさ、優しさとあたたかさを忘れずにいたい(正気の心にとどまっていたい)という思いで、おたよりを書いてみます。
 

今年の1月の途中からだったと思いますが、随分と静かな状態、平和で、怒りが沸き起こりようのない静寂そのもの、繋がりの喜びを感じている状態が続いていましたが、今日、残念ながら「過去」に舞い戻ってしまいました。

昨晩、オンラインサロンのほうで、ある祈りをシェアさせていただいたのですが、あるお仲間の方の祈りの呼びかけは、まさにわたしにとって本当に必要な祈りだと感じ、自然と聞こえてくるままに任せて書き留めたその祈り文を、みんなでの祈り合わせは数日先ですが、シェア(投稿)した後、ゆっくりと感じながら読み、祈ってみました。

  
この祈り文のなかに、レッスン307、Conflicting wishes cannot be my will.(葛藤する願望は、わたしの意志ではありません)という一文が2回入っており、長めの祈り文の末尾だけ記すと、

偽りのアイデンティティーを宝とせず、
真のアイデンティティーを今こそ受け入れます。

怒りも恐怖も抵抗もみなあなたに差し出します。

これらのすべてがあなたの愛の光に照らされ、
そうしてわたしがついに本心を思い出し、
内なるキリストの再誕を迎え入れられますよう。

導きに従います。
ありがとうございます。

というふうになっているのですが(再誕は、再臨と置き換えられます)、

どうもこれによって、わたし(分離を選んだ心)の奥底にあったものが浮上してきたようなのです。

 

ある人に対して怒りを感じたのですが、これという形(その人の言動)に対して腹立たしく思ったわけではないということははっきりしていて、はっきりしているにもかかわらず、どうしようもなく込み上げてくるものを感じました。古傷が疼くような感じでしょうか。

今日のワークブックレッスンを繰り返していると鎮まってきて、ホーリースピリットと共に内側を見ると、「理解されていない」と感じていたことが明らかになりました。
そしてこの「理解されていない」は、「認められていない」ということであり、「見てもらえていない」という意味でもあって、これは、「自分(分離したこと)が、相手にしてもらえていない」という、神に対する怒りと、そのさらに奥にあるのは、神への愛なのだというところまで沈んでいきました。

思い出されたのは、テキスト13章III節と、23章I節の「そして神はそのようには考えない」という有名な一文でした(最近コースを学び始められた方には何のこと?と思われるかもしれませんが、分かち合いはまたどこかのタイミングで)。

 

内観していたとき、自我の、「だって、わたしはここにいる!」という訴えを認識しました。分離は成し遂げられたことだという訴えです。独立して、個別の存在になった自分がここにいる、という。神に勝ったという。

今日のレッスン92に戻り、心が鎮まってきたときに浮かんできたのは、「主よ、わたしはここにおります」(“Here I am Lord”)でした。言葉は似ているけれど、意味は正反対です。

 

イエスがヘレンさんに述べた言葉にこのような一文があります。

私がビルに、「主よ、私はここにおります」という言葉に集中するようにと言ったとき、「ここに」という言葉は「この世界に」という意味ではなかった。

(『天国から離れて』/ケネス・ワプニック著/中央アート出版社)

 

わたしは、「ホーリースピリット、わたしはここにいます」と胸のうちで言いました。
今朝、ワークブックのレッスンに取り組んだとき、完全に光に溶けている感覚がしたのですが(「感覚」という言葉が、なにか違っているように思えるほど溶けていました)、「ここにいます」は、この意味において発せられたものとなっていました。

みんなひとつ。ひとつながりの光のなかで。平和そのもののうちで。
「わたしはここにいます」。
 

怒りの対象となったその人(「その人」はおらず、兄弟、救い主となっていました)からの静かな愛が感じられました。
ごめんなさい、見えていませんでした。真に受け取っていませんでした。

ホーリースピリットを通して受け取り直しの機会となり(ゆるしとは、受け取り直しの機会なのですよね、今そう思いました)、その人も静かになったようでした。まだ形レベルでは取り組むことがありますが、心の手を取り合っていけるという確信はあります。

 

遠い過去の、古傷の、深い痛みはすでに傷ごと(分離の夢まるごと)取り消されていて、今ここにあるのは一体性だけなのだということを、今、思い出したいと改めて感じました。

再臨を、再び生まれることを、願います。

 

2キリストの再臨とは、自我の支配の終焉と心の癒し以上のものを意味してはいない。3私は最初の降臨において、あなたが創造されたのと同じように創造され、再臨において、私に加わるようにとあなたに呼びかけた。

(T-4.IV.10:2-3/『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社)

聖霊を通してあなたが誕生するのを、私に祝わせてほしい。

T-15.X.1:7『奇跡講座 上巻』/中央アート出版社)

 

Jesusの呼びかけに、今こそ、応えます。
神が闘いに応じなかったことに、今もなお、そして永遠に、愛してくださっていることに感謝して。

“Here I am Lord”

Blessings,

2022.4.2配信
(繋がってくださっている方に毎月お送りしています)

   
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