マゼンタ、ピンク、白のツツジが無条件の愛を差し出して、祝福してくれているかのように感じられるので、子供の頃から花壇に植えられているツツジの道を通るのが好きです。

A Course in Miracles(奇跡のコース/奇跡講座)を学習するようになってからは——今となっては——、内なるガイドであるホーリースピリット(Holy Spirit:聖霊)と共に見るなら、“すべて”が祝福してくれていて、すでに与えられている愛に気づくのを待ってくれていたんだといった感覚を受け取るようになりました。

わたしが見えていなかっただけ。わたしが気づいていなかっただけなのです。
愛は、途絶えたり、出し惜しみしたりすることはなく、愛は、常に放射されていて、ただ与え続けます。永遠に——。

わたしたちは誰もが愛に値するし、愛そのものですが、それを真に認め、受け入れられるようになるには、愛は誰も除外しないのだから、誰の中にも愛という光を見させていただくことが大切です。

 

先月の、わたしの心の取り組みは、誰の中にも全き光を見るということでした。例外なしの練習です。
実際お会いする方々、zoom越しでお話する方々、YouTubeを観ているときに拝見するYouTuberさんたち、ふと思い出した人たち……。

どなたの中にも神聖性を見たいという気持ちは以前からありましたが、それでも「常に」ではありませんでした。何かしらジャッジしたと気づいたときに、その訂正としてお祈りするということは染みついていることですが、いつでも誰に対してもというコミットにはなっていなかったのです。

それで、先月は、真剣コミット。本気です。
毎回祈りの中で、心の目で見させていただきました。どなたの中にも、本当に美しい光が見えました。その方が何か問題視していることがあっても、嘆いていたり、愚痴をこぼしておられたりしていても、ずっと美しいのです。

 

誰もが愛そのものであり、光そのものであって、ホーリースピリットのまなざしにおいては、「問題」というものがありません。
けれども、わたしたちは「答え」を、メッセージを受け取らせてもらえます。愛という答えは、わたしたちに受け取れるものとして、やってきます。

それはたとえば、何らかの気づき——抑圧していて見ずにいたことがふっと浮上してきたり、実は密かに握りしめていた信念にハッとして解放が起きたり、自我(エゴ)の知覚から聖霊(ホーリースピリット)の知覚へとシフトしたりすることによって、贈り物を受け取れるのです。

 

ある人が、困難に感じていることについてお話されていたとき、金色の稲穂が見えてきました。それはまるで、神に頭(こうべ)を垂れているかのようで、非常に美しく、わたしたちが何を思っていても、嘆いたり苛立ったり悲しんだりしていたとしても、わたしたちの本当の心、正気の心は、こんなふうに祈りの心——静かで、清らかで、安らいでいる心——のまま、光のいのちを輝かせ、神に感謝しているのだなと感じられました。

学習会(クラス)にご参加くださるみなさんが、わたしには本当に美しいティーチャーとして見えていて、毎回、「ありがとうございます」と心から感謝する気持ちでいっぱいになります。

神(愛)なんて・・と、背を向けて分離を信じてきたのだとしても、やはりそれは「夢」にすぎないということ、誰ひとりとして、神(愛)から切り離された者はおらず、永遠に繋がっていて、わたしたちはみな、聖なる神の子なのだということ、美しい清らかなスピリットだということを、みなさんを通して、何度も教わっています。

引き続き、例外なしで・・文字通り、誰の中にも全き光を、神聖性を、完璧さを・・見させていただこうと思います。
もちろん、真のガイドであるホーリースピリットを通して。

Blessings,

 

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5/5は「祈りの繋がり」の日です★
今回は不足感についての祈り
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