癒しのポータルサイトCOCORiLA連載コラム再録
このコラムでは、ドリーン・バーチュー博士のオラクルカードを使用し、引いた1枚をテーマにしたエッセイをお届けしております。
毎回最後には「Miracle☆Lesson」として、「あなた本来の輝きを呼び覚ます」ためのちょっとしたワークをご紹介♪
今回使ったのは「アセンデッドマスターオラクルカード」で、引いた1枚は「Meditate」でした。
今回は「瞑想」について書いてみます。
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わたしたち大人は日常生活の中で、知らず知らずのうちに心身の疲れを感じることがありますが、
ストレスが溜まった時の発散方法として、みなさんはどのようなことを取り入れているでしょうか。
遊びに出かける、おいしいものを食べる、買い物する、お酒を飲む、運動する、たくさん眠る、マッサージを受けに行くなど、人によってそれぞれだと思います。
そういった方法によってストレスが「解消」されればOKですが、実際、一時的には緩和しても、
また日常に戻ると同じことでストレスを感じはしないでしょうか。
ハンス・セリエによれば、「ストレス」とは外部からの身体的・心理的刺激に対する人間の反応であり、
その刺激のことを「ストレッサー」と言います。
上司に嫌味や厳しいことをしょっちゅう言われる(ストレッサー)ことにより、
胃が痛くなる(ストレス反応)。
上司がもっと優しい人なら良かった。どこか異動になってくれればいいのに。
なんであんなに言い方がキツいんだろう。
金曜の夜は同僚と飲みに出かけて愚痴を言い合い、カラオケで熱唱してストレス発散。
月曜の朝は憂鬱で、上司の顔を思い出すだけで胃が痛くなり、うんざりする。
たとえばこんな毎日を過ごしているとして。
「飲んで歌って」では、結局、ストレス「解消」にはなっていないわけです。
感じないようにしているだけ、誤魔化しているだけにすぎません。
わたしたちにとっての「問題」というのは、実のところ「外」にはありません。
環境や誰か対象となる人が「問題」の原因ではないし、まして「問題」そのものが降りかかった災難、天罰などということはありません。
「問題」は「外」にはないにもかかわらず、わたしたちは「外」にあるものでそれを解決しようとしがちです。
いくら飲んで歌ったって、解決にはなりません。
環境や相手を変えることは不可能ですし、その環境やその人は「悪く」ありません。
あなた自身も「悪く」ありません。
誰も何も悪くないけれども、わたしたちは自分の思考、フィルターを通して世界を「問題」のあるように見ているし、実際はそれが「内」、自分のマインドにあることに気づかないフリをして生きています。
こちらの言い分の方が誰がどう考えても正しい。いちいち嫌味を言うアイツは人間的に間違っている。
みんなが、人をこき使うこの会社には辟易している。世の中なんて理不尽で不条理なんだろう。
どちらが「正しい」か、どちらがより「道徳的」か、ということが大事なのではありません。
「正当性」をこそ自分の「武器」にして、相手を悪者に仕立て上げ、本当は自分の内面にある「怖れ」を
なんとしてでも守ろうとすることが、実際あるのです。
相手がどうであれ、自分から「愛」を差し出すことを怖れているのかもしれないし(先に相手が自分を受け入れてくれない限り、自分から先に相手を無条件に受容したり肯定すること、友好的に接することなどしたくない)、
本当の自分として生き生きと輝いて天職に就き、幸せを味わうことを怖れているのかもしれません
(劣等感やコンプレックスを抱き、自尊心が低く自己否定的で卑屈になって世の中を見ている)。
もちろんすべてがこのようだとは言いませんし、100人いれば100通りのものの見方と心の痛みがあります。
ただ、どれも決まって何か・誰かを「攻撃」していたり、何か・誰かに「不満」を持っており、
その根底はつねに「怖れ」であることは共通しています。
わたし自身、≪あること≫をするまで、自分の「正当性」を「武器」にして、本当の愛あるコミュニケーションを怖れているなどと、自分の頭では少しも理解していませんでした(正確に言うなら、その真実を受け入れたくはなかったのです)。
知った時はとても驚きましたが、素直にそれを認めて相手に謝り、心の奥に合った――わたしたちの「本質」そのものであって、実際にはそれしか存在しない――「愛」を引っぱり出してきて、伝えました。
すると、相手も「愛」で応えてくれました。「本当のこと」を分かち合えたんです。
それまでわたしにとって「ストレッサー」でしかなかったことが、「ただ起きていること」、ひとつの事象であるだけで、それ以外の意味を持たなくなりました。そこに「悪い」意味を与えていたのは、まぎれもなく自分だったのです。
「正当性」というのはプラスのことのように見えて、
実は自分を防御するための口実に利用している「武器」なのかもしれません。
さて、わたしに大きな気づきを与えてくれた≪あること≫とは何かというと、
今回のテーマである「瞑想」です。
はっきり言って、上記のようなことを頭は受け入れようとしないでしょう。
「だって上司は~」、「でも世の中は~」と自我(エゴ)は話し始めます。それこそ「問題」なのです。
相手や環境が「問題」なのではありません。
頭では否定したり抵抗して拒絶することでも、「瞑想」している時は素直に受け入れることができますし、
何か日常でトラブルがあったり、イライラしたり、ストレスを感じるようなことがあった時、
その「解放」を「瞑想」が助けてくれます。
ただ息を吐いて吸って、「今、ここ」に存在すること。
そして内なるガイド、ハイヤーセルフに助けを求めることで、あなたの内なるガイドが、「真実」に気づかせてくれることでしょう。
1日に1回はゆったりと瞑想して
すべてをゆだねてみる
瞑想を修行か何かのように
思う必要はありません。
雑念を無理に打ち消そうとしなくても
大丈夫です。
あるがままを受け止めてみましょう。
さまざま方法があるので、
自分に合ったものでトライしてみてください♪
2013/08/13掲載
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