癒しのポータルサイトCOCORiLA連載コラム再録
このコラムでは、ドリーン・バーチュー博士のオラクルカードを使用し、引いた1枚をテーマにしたエッセイをお届けしております。
毎回最後には「Miracle☆Lesson」として、「あなた本来の輝きを呼び覚ます」ためのちょっとしたワークをご紹介♪
今回使ったのは「大天使オラクルカード」で、引いた1枚は「Clairsentience」でした。
というわけで、今回は「本当の答え」について書いてみます。
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わたしたちは、毎日あることを繰り返しています。
「それ」はいつも、わたしたちに委ねられていて、どのようであっても真に裁かれることはありません。
「自由意志の法則」が働いており、「それ」は常にわたしたちに任されています。
そう、「それ」とは――「選択」。
毎日、わたしたちは「選択」を繰り返し、選んだほうの道を歩いています。
何時に起きて、何を食べ、どの服を身につけ、どこへ行くのか。
誰と会い、何をするのか。
どの高校へ通い、どのような職に就き、誰と恋愛し、誰と結婚するのか。
好きなことをして生きるのか、「しなければならないこと」(と思っていること)を我慢して続けるのか。
その人をゆるすのか、ゆるさないのか。
愛を打ち明けるのか、秘めておくのか。
1日を、人生を振り返ってみると、わたしたちは毎瞬「選択」しており、
人生とは「選択」の連続と言えます。
日常のささいなことであれ、人生の岐路に立たされた場合であれ、
何を選ぶかは自分で決めることができます。
スピリチュアルな観点から言えば、生まれた国や性別、両親も自分で選んでいます。
先ほど挙げた「選択」の内容は、少し意識してみると分かりやすいものですが、
「思考」そのものも、わたしたちは「選ぶ」ことができます。
考え方。
これはちょっと気づきにくいかもしれませんが、ひとつの物事に対して、
それをどう受け止めるかをわたしたちは絶えず「選択」しています。
リストラされた。
そのことを、自分は会社から見放されたんだと思い、苦しみ、怒りを覚える人もいれば、
これを機会にべつの人生を歩む時が来たのだと受け止め、「今」できることに集中する人もいます。
病気になった。
こうなることは、自分の何かがいけないからだ、罰が当たったんだと悲しむ人もいれば、
病気になったおかげで、命の大切さや家族の存在の尊さを学ばせてもらえたと感謝する人もいます。
ここで気づいていただきたいのは、「感情」というのは、自分の「思考体系」による「反応」だということです。
同じ体験をしても人によって「感情」が異なるのは、その人の「思考体系」が違うからです。
ものの見方、受け止め方が違う。
「リストラ=不幸」、「病気=不幸」。
そういった定義づけになっていれば、苦しむのは当然です。
それが悪いと言っているわけではありません。
もし苦しいのなら、何が自分を苦しめているのかに気づくことで、そこから解放されることができるのだということを分かち合いたいのです。
「感情」は「反応」なので選べませんが、「思考」は「選ぶ」ことができる、ということです。
ネガティブな「感情」も、サインです。
何のサイン?
もちろん、それを望まないのなら、あなたの「思考」をいつでも換えることができるのですよ、
というサインです。
いつまでも、悲しみに、苦しみに、さみしさに囚われて、混沌の中でもだえる必要などないのですから。
他でもないあなたが自分を――その「思考」(捉え方)によって混沌の中へと放り込んだのだから、そこからあなた自身が自分を救い出すことができるのです。
さてこの「選択」ですが、大別するとどのようなことも2つに分けることができます。
ご存知の方も多いことと思いますが、「愛」か「怖れ」か、の2つです。
あなたの「高次の自己」は「愛」を選ぶことを望んでいて、
あなたの「低次の自己」は「怖れ」を選ばせようとありとあらゆる手を使ってあなたを追い込みます。
リストラされた。
「低次の自己」は、これから生きていく術がなく、一家離散するかもしれないとささやきます。
「高次の自己」は、「今」この状況の中にも「祝福」が必ずあって、それに気づくようやさしく促すかもしれません。
転職するかどうか迷う。
「低次の自己」は、今の、慣れた仕事を続けるほうが安心だし、辞めたって次の仕事を見つけられるかどうかわからない、採用されることなど無能なおまえには無理だと引きとめる。
「高次の自己」は、あなたの情熱に従って、心から望む仕事に就けるよう、まずは情報収集してごらんと励ますかもしれません。
葛藤しているとき、それは「愛」か「怖れ」かの分かれ道にいるのです。
自分を守ろうとする行為(たとえば、転職せずに今のさしてやり甲斐を感じられない仕事を続けること)は、「怖れ」とつながっており、
心からの想い、正直で誠実な気持ち、純粋な願いは「愛」とつながっています。
自己防衛=怖れによる「選択」
自己信頼=愛による「選択」
前者の「自己」とは、「こんな自分」のこと。「無能な自分」、「無価値な自分」。「どうせ自分は」と、否定している自分のことです。
そんな「自分」だから、守らなければならないと考えます。
後者の「自己」は、「これが自分」と認めている「自分」ではなく、「すべてとつながった、すべてとひとつの自分」のことです。
無限の可能性を持っていて、欠けているところなどどこにもない、光そのもの、愛そのものとしての「自己」。「本当の自分」のこと。
迷ったとき、どうぞ「思い出し」てください。
答えはすでに、あなたの「内」にあるということを。
「愛」か「怖れ」かの、どちらを本当は選びたいのか、ということを。
あなたはもうそれを、はるか昔から知っていたのだから。
答えがほしいとき、不安に駆られたときなどは、胸に手を当てて自分の「内なる声」に耳を傾けてみる。
自分の心をそのまま感じて、自分に正直になってみてください。
「愛」か「怖れ」か、どちらを選ぶことが心地よいでしょうか。
解決方法については、まずは自分のガイドに委ねて直感に従ってみましょう。
2013/07/15掲載
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