癒しのポータルサイトCOCORiLA連載コラム再録
このコラムでは、ドリーン・バーチュー博士のオラクルカードを使用し、引いた1枚をテーマにしたエッセイをお届けしております。
毎回最後には「Miracle☆Lesson」として、「あなた本来の輝きを呼び覚ます」ためのちょっとしたワークをご紹介♪
今回使ったのは「大天使ミカエルオラクルカード」で、引いた1枚は「INNOCENCE」でした。
というわけで、今回は「ゆるし」について書いてみます。
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よりよい未来を切り拓いていきたいと思うものの、
「こんな自分」にはできない
「こんな自分」は愛されるはずがない
というようなネガティブな思考があるために、なかなか前に進めないことがあります。
「こんな自分」。
自分という存在に、「こんな」がつくのは、いったいどうしてでしょう。
「こんなわたしだから…」
自分の価値を低く見て、その本当の価値を認められない。
「どうせわたしなんか」
「所詮わたしはこの程度よね」
なぜ、「こんな」や「どうせ」という言葉が出てくるのでしょうか。
自分の価値を低く見ることの背景には、「過去」が関係していると言えます。
親にじゅうぶん愛されなかったし、わかってもらえなかった。
愛する人に裏切られた。
友達に理解してもらえなかった。
だまされた、いじめられた、悪口を言われた。
頑張ったのに、評価してもらえなかった。
一生懸命やったのに、認めてくれなかった。
平等に扱ってもらえなかった。
誰からも相手にされなかった。
気分次第で、わけもなく冷たくされていた。
暴力を振るわれていた。
思い出すのも嫌な、悲しい「過去」――。
誰かに何かを「された」、被害を受けたという認識から、
そのようなことをされた自分の価値を低く見るようになる。
期待していた通りのものを与えてもらえなかった失望感から、
与えられるに値しないのだと自分を軽んじてしまう。
あるいは、自分のしたこと――「罪」による、自責の念。
あんなひどいことをしてしまった。
わかってあげられなかった。
そんなつもりはなかったけど、裏切ってしまった。
苦しめてしまった。
責めるんじゃなかった。
知らず知らず、傷つけてしまっていた。
そんなことをしてきた自分には、価値がない。
ひどいことをされた、「こんな自分」。
ひどいことをしてきた、「こんな自分」。
≪被害者意識≫と≪罪悪感≫。
どちらの思いも言うまでもなく、わたしたちを苦しめるものです。
≪被害者意識≫の奥底には、相手に対する「怒り」があるまま、癒えずにいることがあります。
とくに、親や、深く愛していた異性に関するものは、根深いことが多いと言えるでしょう。
「怒り」で、罪を犯した(と思っている)相手を裁くことなどできません。
「怒り」がねじ曲がって、自分を病の身に置き続けることで親に復讐しようとしている大人の方もいますが、
それはまったく、復讐として成立していません。
「攻撃心」とは、どこへ放たれようと、寸分の狂いもなく正確に自分自身に向かってゆくものなのです。
≪罪悪感≫もじつのところ、ある意味「攻撃」です。自分に対する「攻撃」。
「自責」とは、むろん、自分で自分を責めとがめることであり、それは一見、謙虚に自分のしたことを省みているようでいて、ただ自分を攻撃しているにすぎない、真に誰のためにもならないことです。
自分に対する「攻撃」も、もちろん自分を苦しめます。
≪被害者意識≫を持ち続けたり、≪罪悪感≫を抱き続けることで、いったい誰が救われるというのでしょう。
「感情」というものには「時間軸」は無関係で、何歳の時のことであろうと、
その当時の「怒り」、「悲しみ」、「寂しさ」などが大人になった「今」でも、生きていることがあります。
その時の感情が扱われることなく、受容され、理解されずに、押し殺されたままであった場合、
心の奥底で生き続け、閉じ込められたその場所からドアを時折ノックして、存在を知らせようとするのです。
大人になっても「引きずっている」というのはこのためで、
中には、器用に「忘れる」――「忘れた」ことにしている――人もいます。
それでも言わずもがな、「ゆるせない」感情、その痛みが消えることなどありません。
相手を恨みに思い続けても、自分を責め続けても、決して救われることはないのです。
本当に大事なことは、このカードが示しているように、わたしたちは「INNOCENCE」(無罪)である、ということです。
過ちは正されなければなりませんが、わたしたちには「ゆるし」が必要です。
過ちを犯した相手をゆるしましょう。
自分自身をゆるしましょう。
わたしたちの本当の「完全性」は、「ゆるし」さえ通り越したその先に観ることができるのだと思います。
≪過ち≫と≪罪≫は別のものです。
わたしたちは「罪人」ではなく――それゆえ「攻撃」に基づく「裁き」は不要で――、ただ「間違い」を認め、それを正し、愛をもって「ゆるす」ことが求められているのではないでしょうか。
「怒り」も「後悔」も「学び」に換えて、これまでのすべてをゆるしましょう。
何がゆるせないのか紙に書き出して、その怒り、罪悪感、自責の念のすべてを手放すために、「わたしは○○を、愛をもってゆるします」と言ってみる。
ゆるせずにいる相手の名前や自分を当てはめて、心をこめて言ってみましょう。
書き出した紙は感謝の想いとともに処分してください。
「自分は大丈夫」と思っている人も、やってみると気づくことがあるでしょう。
2013/06/17掲載
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