漠然とした不安感がやってきたときに、自我(エゴ)の声に耳を貸す、自我を教師とすることはしたくなかったので、ふと近くに置いてあった本を、適当なところで(ガイダンスを求めて)開いてみました。

 

それは奇跡のコースの教師であるジョン・マンディさんの著書で、コースを学び始めた頃はこの本をよく読んでいました。その日ぱっと開いた箇所に書かれてあった言葉を見て、「ああ、また忘れていた」と感じたのですが、そこにはこう書かれてありました。

 

本当に尋ねられるべき質問は、なぜホーリースピリットの声を聞くことができないかではなく、なぜホーリースピリットがするように求めていることを聞かないのかということです。そうすれば、ホーリースピリットの声をもっと聞くことができるというのに。

(『『奇跡のコース』を生きる 入門から実践まで』/ジョン・マンディ/ナチュラルスピリット)

 

一歩退くことを忘れていた、すべての判断を任せることを忘れていた、ゆだねることを、信頼することを。そのことに気づくことができ、すぐにしずかな時間を持ちました。「漠然とした」というのはもちろん「ごまかし」であって、見ないようにしていた部分があったのです。そこにホーリースピリットによって光が当てられ、わたしの不安(もっと言うなら罪悪感)が溶けていくような感覚がありました。

 

わたしはものをわかっている、わたしは自分で解決できる、行動面でわたしが解決することがわたしの責任。そのような間違った考えを持っていると、当然のことながら、心は――疲れるはずはないというのに――疲弊してしまいます。

わたしは何を見るかについて責任があるのでした。知覚の修正を助けてもらえるよう祈ることが、大切なのでした。

 

祈ると、本当に心が軽くなりました。どうして初めからホーリースピリットに尋ねなかったのだろうと、すこし笑えてきます。自我が求めている「解決」は、ちっとも重要ではなくて、本当の「解決」はそこにはないということ、すでに問題は解決されているということを感じることができました。

 

どんなことより、この心の訓練が大切だと感じます。自我の誘惑には、注意深くありたいものです。